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2008-12-02 00:00
「公共サービス者」の使命を問う
森 浩晴
団体職員・大学講師
世は全て、経済理論に基づいて動いている。金融の流れが、物作りを生み、そこに雇用が発生する。郵便事業も元来、市場原理主義に基づき、独立採算制・利益優先で行うべし、との至上命題でなされたのが、かの小泉郵政改革である。しかしこの業は、本来的には、市場になじまず、外部経済、公共経済に属する。一般財のマーケーットでは、完全競争市場が成立しており、ここに市場価格と取引量が「神の見えざる手」によって予定調和される。そこでは、消費者余剰と生産者余剰を加えた社会的余剰は最大値を取り、正に「規制緩和」こそ、人々の最大多数・最大幸福をもたらす福音とも言える。
しかし、初期費用(FC)が余りに過大な場合、公共経済学・厚生経済学では、取引量を政府規制によって拡大するのである。このことで、当該企業に損失は出るが、それを補ってなお余りある消費者余剰が得られる。FCが過大な産業と言えば、電力・エネルギー・鉄道・通信業・上下水道・郵便事業などである。これらの産業は、余りの巨費で民間が事業を始めることは無く、政府なり自治体が先鞭を付け、それを暫時、民活していく方向が洋の東西を問わず確認出来るところである。
我が国でも、電力や鉄道、通信などが、1980年代、英国のマーガレット・サッチャー首相の民活化に倣って、一挙に「市場原理」に付されることとなった。効率性が上昇した、民間になってサービスが向上した、とメディアでは賛美されるが、果たしてそうであろうか。陽の部分ばかりにスポットが当たり、陰の部分は看過されていないであろうか。たとえば、国鉄。JRになることで黒字化はしている。しかし、過疎地域を切り捨て、大都市部にばかり投資していて、果たして「公共の交通手段」としての使命は達成されているのであろうか。
私は、同じ事を、自治体病院事業の今後にも感じる。無論、国是として行われている昨今の自治体病院改革に異を唱えるつもりは無い。しかし、忘れてはならないのは、「公共サービス者」としての使命である。東海エリアで例えるなら、名古屋市内などは、誰が院長を務めても黒字は出るし、十分な医療サービスも達成されよう。しかし岐阜県山間部や三重県奥部などはどうであろうか。市場原理だけで進めてはいけない「マーケット」もあるものと考える次第である。
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