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2008-12-26 00:00
(連載)香港返還にみるイギリス外交の戦略的思考(1)
山田 禎介
ジャーナリスト
歳末にテレビで毎年浮上するのが「第2次大戦再考」もの。今年は民放テレビで「日米開戦と東条英機」を主題とする歴史ドラマが放映された。先般の日本国際フォーラム「国家戦略研究会」の「日本における戦略的思考の不在:日本はなぜ対米開戦に突き進んだのか」に、私見として「統帥権」乱用を参考意見に挙げたが、この民放ドラマの前半ドキュメンタリー部分でも「統帥権」の問題点が指摘されていた。民放ドラマもまたある面では「日本における戦略的思考の不在」問題を突いている。
私は、このような「第2次大戦再考」などの“古典テーマ”に加え、現代世界につながる戦略的思考と国家戦略の実例として、1997年の香港返還に至る英中交渉プロセスも、是非検証し、学ぶべき対象だと思う。英中間で香港返還が正式に決まったのは1984年で、この頃国際社会で香港の将来像が焦点に浮上した。だが実は英国は、すでに1960年代から英領香港(香港島と九龍半島先端)と租借地の九龍、新界を含め、植民地香港のすべてを、1997年に中国に返還する腹づもりだったのだ。英国はこの返還時点に至るまで、周到な表裏にわたる戦略外交で香港“領土”を保持、そしてほぼ傷あとも残すことなく撤退した。だが一方でアメリカが最も信頼するこの英国は、冷戦下に西側で初めてとなった社会主義の新生国家中国を承認する外交大技をみせた国でもあった。それは中国建国(1949年)の翌年のことであった。
当時、新生インドはフランス領シャンデルナゴルを平和裏に返還させたものの、1961年末にはポルトガル領ゴアを武力で奪還した。このことは、英国の植民地香港維持にも微妙な影響を与えた。第2次大戦後、欧米支配下の植民地がつぎつぎと独立したが、それでも戦略拠点は旧宗主国による“原状回復”がすばやく行われた。本国の国土が戦場となっていたオランダは国力も疲弊し、植民地回復には英国の力を借りた。英軍部隊が旧オランダ領インド(蘭印)に進駐したのである。その後、この地は独立闘争をへて、新生国家インドネシアとして独立し、オランダの夢は消えた。だが英国は、それ以上のすばやい行動を直轄植民地香港の回復にみせた。香港には日本軍降伏後、ただちに英艦隊が入港し、植民地行政も回復した。それから1997年の香港返還まで実に老獪な外交戦略が展開されたのである(つづく)。
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