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2009-01-07 00:00
(連載)多極化する世界と多党化する日本(2)
角田 勝彦
団体役員・元大使
このような流れの動因は、かってのルネサンスの人間解放と同じく、あらゆる専制から個人の解放を求める動きである。自由の拡大への動きである。近・現代において新しい神となった国家、その教会となった中央政府を主対象とする改革の動きである。なお専制をもたらし得る権力は、多角化(政治・軍事のほか経済や文化など)し、多層化(中央政府のほか企業、民間団体、国際機構など)している。今回の金融危機も、この流れの一環である。1990年代からのグロバリゼーションにより拡大した世界経済は、「大きな政府」に代わりに「大きな金融」をもたらした。リチャード・セネット英ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス教授は、この「大きな金融」を「金融当局や銀行、格付け機関といった一握りのエリートによる中央集権的な専制システム)」と定義している。
今回の金融危機は、「大きな金融」が崩壊して「公」による権力の規制が行われる段階になったことを意味する。「大きな政府」の復権と見るより、独占禁止法と同趣旨の「資本に対する法の規制」と見るべきだろう。2009年は、混乱のなかに、ニュールネサンスの進展、換言すれば「変革」への希望を感じさせる年となり得る。オバマ政権の発足は、それを象徴するものといえる。経済は、1月発足する米オバマ政権にとっても最優先課題であろう。オバマは2年間で300万人の雇用を確保・創出するため、大規模公共事業を中心とする総額8500億ドル(約76兆5000億円)とも言われる経済再生プラン(オバマ版ニューディール)を発表するとされる。
しかし、もっと重要な変革がある。世界秩序構築を住宅建築に例えれば、土台であるイデオロギー、壁と躯体である安全保障、家財である経済、上下水道など住宅設備である環境や資源、屋根である経済協力などの他の全ての要素より重要なのは、地盤であるパラダイム(思考の枠組み)なのである。砂上に楼閣は築けない。同じ多極化でも、冷戦時代のような友敵構造のパラダイムのもとの多極化もあれば、オバマが主唱する国際協調を前提にしての多極化もある。世界各国は、大恐慌の時代と違い、経済面でも、G20(金融サミット)開催に象徴されるように、協調による解決を模索している。協調が、経済を出発点に、環境、エネルギー、核不拡散など他の重要分野へ広がる可能性もあろう。
国際協調が国際関係のパラダイムとなる限り、将来をそう暗く見る必要はない。米国マリスト大学世論研究所(MIPO)が行った最新の世論調査で、景気後退(リセッション)の長期化が予想されるにもかかわらず、米国民の過半数が2009年に楽観的な見方をしていることが分かった由である。「明るい未来を期待している人の割合は、45歳未満が64%、45歳以上では52%と、若い世代ほどより楽観的である」(2008年12月31日付毎日新聞)という。
米国の楽観的理想主義に比べれば、我が国は悲観的功利主義に走りやすいが、現実はそう暗くない。円の独歩高が示すように、日本経済の基調は堅調である。活性化については、筆者は昨年12月15・16日付けの本欄への寄稿「大恐慌を恐れず、新しい日本経済を築け」で一提言を行った。出口は見えている。国会で論戦が始まった緊急対策についても、各党の姿勢に大差はなく、政策面の妥協は可能であろう。国際関係においても、直近の例を引けば、麻生首相は、イスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザへの空爆をめぐり、パレスチナ自治政府のアッバス議長と電話会談し、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)を通じて1千万ドル規模の緊急人道支援を行う考えを伝えた由である。このような協調の努力を続ける限り、日本が「衰退国家」どころか、ニュールネサンスのフィレンツェになる可能性はかなり大きい。(おわり)
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