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2009-01-15 00:00
(連載)国連と日本(1)
坂本 正弘
日本戦略研究フォーラム副理事長
さる1月13日、東京財団は「日本は安保理で何をなすべきか:非常任理事国の2年を考える」とのフォーラムを開催した。折から帰国中の高須国連大使は「日本の安保理入りは10回目である。国連では安保理改革についてたんに議論するだけでなく、近く政府間交渉に入る。日本はこの2月から安保理の議長国となり、安保理改革の調整を進める。この2年は『非』をとった常任理事国入りを目指したい」などと、その抱負を語った。
日本が前回、非常任理事国だったのは2005年と6年であるが、この2年は日本にとって苦渋の2年だったといえよう。まず、2005年、日本はドイツ、インド、ブラジルとともにG4を組んで、積極的に行動し、国連安保理改革、常任理事国入りを目指したが、頼みとする米国の支持は薄く、大丈夫と踏んだアジア、アフリカ諸国も支持がなく、惨敗を喫した。何よりも中国の日本叩きが激しかった。靖国問題を取り上げ、アジア、アフリカ諸国には援助や貿易を餌にして、日本反対の大代表団を送りこんだ。裏には、イラクで手を縛られた米国が、6者会談などで急速に中国への依存を深めた事態があった。
2006年には北朝鮮問題の核実験があった。バンコ・デルタ資産を巡る金融制裁は効を奏し、北朝鮮は追い詰められていた。7月のミサイル・テストに際しては、日米は共同で北朝鮮への非難決議を提案した。ボルトン・大島両大使のコンビの良さが光った。10月6日の北朝鮮の核実験には、日米の手回しはさらに良く、10月15日には北朝鮮への制裁決議を提案し、中国も賛成した。この状況では、安保理事国だった日本外交の効能が見えた気がした。(つづく)
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