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2006-04-27 18:01
「非宗教的追悼施設建設」までゆくのは過剰反応では
広原 豊
無職
小島朋之主査から発表された第28政策提言「変容するアジアの中での対中関係」に関する「コンセプトペーパー」を拝読しました。ずばり言って、現在の日中関係の最大の問題は、小泉首相の靖国神社参拝で袋小路に入ってしまった現状をどう打開するか、そもそも打開できるかだと思います。したがって、私も最初に「コンセプトペーパー」のその部分を読ませてもらいました。
「新総理は過去のいきさつを一切捨てて、無条件で早期に首脳会談を行うべきである」と言っていますが、新総理がそう言っても、相手が条件をつけてきたら(そしてもう現に条件をつけてきている)どうするのですか。それが問題なのではないでしょうか。「非宗教的追悼施設と平和公園を建設する」との言葉も見えますが、中国はそこまで要求しているとの判断なのでしょうか。東條英機元首相などを祀っているところに現職首相が参拝することを問題にしているだけで、「非宗教的追悼施設と平和公園を建設する」ところまでゆくのは過剰反応あるいは的外れの対応ではないでしょうか。靖国神社の祭神から東條元首相などを外すか、(それが靖国神社の拒否でできないのなら)首相は靖国神社参拝をやめるか、そのどちらかしかなく、それだけのことではないのですか。
私は、かつての戦争で迷惑をかけた諸国のひとびとに日本の現職首相が東條元首相などに参拝していると思われる、思わせることを避けるのは、日本の首相たる者にとって優先度第一の公務だと思います。そのあとどうするかは、第二、第三の優先度の問題であって、それぞれの首相の「心の問題」として処理すればよいことだと思います。いかがでしょうか。
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