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2009-08-27 07:33
首相は鳩山と「引継ぎ会談」を考慮せよ
杉浦正章
政治評論家
民主党との大げんかの最中に首相・麻生太郎に「首相官邸の引継ぎはどうしますか」と誰かが聞いたら、さすがに激怒するだろう。しかし“江戸城開城”は避けられない形勢となった。江戸城は幕府全権陸軍総裁・勝海舟と、新政府軍参謀・西郷隆盛との間で無血開城が決まったが、そうした会談が行われるのだろうか。鳩山由起夫が「政権交代ありがとう」位を言いかねないが、そうなれば麻生も「政治はばくちじゃない」で、取っ組み合いのけんかになりかねない。しかしあえて言いたい。麻生は鳩山に政権引継ぎを行うべきだ。三木武夫に田中角栄が首相の座を奪われたとき、「いまの政争は負けても一族郎党クビを切られることがないからいい」と述べていたが、確かに江戸城開城では徳川慶喜の首が飛びかねない状況もあった。実は、政権が交代しても、閣僚の引き継ぎは各省庁で行われるが、首相の引継ぎはないのが通例だ。
長期に自民党政権が続き、政策的にもそれほどの落差はなかったから、引き継ぐこともなかったであろうし、総裁選挙で対立した相手に引き継ぎを行うこと自体に抵抗感があったのだろう。ましてや今回は、政党間で双方の主張が激突しており、引継ぎなどとんでもないというのが雰囲気であろう。しかし首相引継ぎは荒唐無稽(むけい)ではない。過去に引継ぎの例がある。それも自民党の首相から他党の首相への引継ぎだ。1993年に自民党を離党して新党さきがけをつくり、細川護煕政権の首相特別補佐に就いた田中秀征によると、敗軍の将・宮沢喜一と細川の引継ぎがあったのだという。それも極秘の会談で、数回行われたという。田中は書いている。
「首相の引継ぎは通常行われないが、宮沢首相は別であった。その年は東京でサミットが開かれ、就任したばかりのクリントン大統領が宮沢首相と会談した。正式の会談の他に、得意の英語で2人だけで話をしたことも多かった。それを細川さんに申し送りしたのだ」という。事前に田中は「細川さんがお会いしたいと言っています」と宮沢に伝えたところ、「ちょうどよかった。私にも申し上げたいことがあるから」ということで、会談が実現したのだという。会談の内容はNPT条約(核不拡散条約)の延長問題や日本の常任理事国入り問題など、外交案件が主であったという。田中は「その後もいろいろ相談があると、3人でしばしば会った。細川さんが官邸から抜け出すことが、最も大変だった。誰にも知られないように宮沢先生に会い、いろいろ示唆を与えてもらい、激励も受けた。現首相と前首相の密会は、はらはらするほどスリルに満ちたものだった」とも続けている。
実に面白い話ではないか。鳩山由起夫は細川政権の官房副長官であったが、おそらく副長官レベルでは知らされていなかったのだろう。米国でも、共和党から民主党に政権が移行したが、ブッシュからオバマに引継ぎが行われている。オバマは当選後わずか6日でミシェル夫人とともに初めてホワイトハウスを訪問し、2時間近く会談している。ブッシュ大統領夫妻の招待によるもので、金融危機の影響が深刻化するなか、円滑な政権移行で政治の空白を避けたい、双方の思惑が一致した形だ。さすがに米国の政権は、心が広い。見習うべきであろう。少なくとも首相だけが知りうる立場にある外交・安保上の問題は、引き継ぐべきだ。「昨日の敵は、今日の友」と言うではないか。「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍ぶ」のが政治家だ。歴史の一コマを書いていることを意識し、青少年教育のためにも、ここは会談すべきだ。
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