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2009-10-29 08:03
首相が“野党党首”と化した:本会議質問
杉浦正章
政治評論家
録画して衆院代表質問を検証したが、首相・鳩山由紀夫の本会議発答弁は、問題の核心ですべて開き直るか、すり替えるかに徹していた。責任政党の首相の重厚感はなく、まだ“野党党首”をやっているのかという感を濃くした。回答を持たないままの巧妙な責任転嫁でもある。しかし何を発言しても新人議員を中心に万雷の拍手が湧き、まるで“将軍様”を前にした北朝鮮人民会議か、自民党総裁・谷垣禎一のいう「ヒットラー・ユーゲント」を連想させた。しかしその谷垣の質問は、一応そつなく問題点をまとめたものの、攻撃性と突っ込みに欠けた。議場も自民党側は集中治療室からやっと抜け出たように暗く、友党だったはずの公明党の質問が始まると、続々半数が退場。これでは最初から投げているとしか思えない状況だった。
首相の本会議答弁は、国家の重要施策に万鈞の重みをもって応えるべきものであるが、鳩山答弁は公平に見て修辞技術・レトリックに終始した。イギリス議会のやりとりに習熟したアドバイザーがいるに違いない。発言の言葉尻を捉えて切り返す手法だ。このやり方は国会審議の場を論争のための論争の場と化して、実りをもたらさない。一般大衆やユーゲントには受けても、専門家の目はごまかせない。ごまかせないばかりか、容易に反論できる。マニフェストの約束違反を突かれて「君主豹変と言われたが、私は君主ではない」がレトリックの最たるもの。問題は豹変なのであって、その豹変の理由を述べずに逃げている。ビジョンの欠如を問われて「あなた方には言われたくない」と切り返し、ユーゲントは喜んだが、民主党政権に財政の中長期ビジョンが全く欠けている事実をすり替えている。
概算要求が100兆円近いと批判されて、「100兆円近い予算と言うが、補正と合わせて102兆円予算を提出したのはどちらか」と開き直ったが、これもすり替えだ。概算要求をめぐる問題はあくまで当初予算を基準とすべきであり、前内閣は88.5兆である。これをベースにすべきだ。現内閣がたとえ92兆の予算を組んでも、いずれ景気対策など補正で100兆は確実に突破せざるを得ないだろう。郵政社長人事に関しては「優れた人材を適材適所とした」と口癖の脱官僚から一転して開き直った。「要はいかに、使いこなしていくかということ」とつけくわえた。これは、前首相・麻生太郎の「やる気にさせないと公務員は動かない。いかに使いこなすかだ」にそっくりだ。白眉は普天間基地をめぐる政権の右顧左眄(べん)を突かれて、「いままで10年間結論を出さなかったのは、どの政権か」とまたまた開き直ったが、少なくとも自民党政権は普天間移転で10年間の交渉の末、日米合意に達している。それを覆そうとしているところからすべての問題が発生しているのだ。事実誤認のうえ、レトリックでごまかしている。マニフェストを実現できなかったときの自らの進退についても「4年後に達成できなかったら責任をとる」と述べたが、1か月半で明白な公約違反の数々が起きており、4年待てというのは時間稼ぎの詭弁(きべん)だ。
総じて自民党の“敵失”を攻撃する癖が首相になっても直らない。核心を突かれて、「お前はどうだったのか」では議論がかみ合うはずもない。相手は野党なのであって、開き直りは自らが回答を持っていないことの証明にほかならない。朝日新聞が10月29日付社説で自民党の政権批判の質問を「天につばするだけで終わりかねない」と形容し、これを事前に読んだに違いない朝日の編集委員が、28日夜のテレビ朝日の報道番組で「天につばするもの」と受け売りしていた。社会の公器たる新聞、テレビが問題の核心を突かずに、野党質問の揚げ足をとるのはいかがなものだろうか。また公式・非公式に政権にアドバイスしているふしがあると見るのは、私だけだろうか。逆に毎日が社説で「これまでの政権に大きな責任があるのは事実だ。だが、鳩山政権発足以来、既に40日以上。いつまでも前政権批判にとどまっているわけにはいかない」と指摘しているが、これこそ公器としての役割を果たすものだ。
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