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2010-05-14 09:58
いまや言葉よりも、人間の「軽さ」を問われる鳩山首相
鍋嶋 敬三
評論家
鳩山由紀夫首相が沖縄の米海兵隊普天間飛行場の移設問題で何度も公言してきた「5月末決着」を事実上断念した。首相は5月13日「6月以降も詰める」と決着先送りを認めた。移設について「与党3党の合意の下での選定、地元の受け入れ同意、米側の合意の3点を念頭に、5月までに結論を出す」(2月、衆院代表質問への答弁)との公約を自ら破った。国会で「身を賭す」とまで踏み込んで明言した首相の政治責任は重大である。論語に「信なれば則(すなわ)ち民任(にん)ず」という言葉がある。言行が一致して偽るところがなければ、国民は安心して為政者に政治を任せるという意味である。政治とカネの説明責任不足、普天間問題の迷走などで、内閣の支持率は70%台から20%すれすれにまで急落した。首相の言葉に信用がおけない、と国民の多くが感じている。
鳩山首相の言葉が「軽い」と多くの人が指摘する。その場その場で相手に調子を合わせるせいか、次の場面では前言をひるがえすことが多く、言い逃れ、ごまかしと映ることもしばしばある。移転先も総選挙前から「国外、少なくとも沖縄県外」と言っていたのが、いつの間にか、米軍キャンプ・シュワブ沿岸部(名護市辺野古)を埋め立てる現行計画を修正して、杭打ち桟橋方式を軸とする「県内」が政府案の柱になっている。地元3町長がそろって反対する鹿児島県徳之島への基地機能や訓練の一部移転は、「県外」の体裁を取り繕うための案でしかない。首相の言葉の軽さだけが問題なのではない。民主政治の下で政治家として最も重要な自らの発言に責任を取ろうとしない「人間の軽さ」が問題なのである。「県外」という首相の言葉に期待を膨らませた沖縄県民の心を踏みにじったのは、鳩山氏自身である。仲井真弘多沖縄県知事は「県民は裏切られた」と強い不満を漏らした。
普天間問題は沖縄を含む在日米軍再編計画の柱である。本土の岩国や厚木への部隊の一部移転を含むセットとして、現行計画が日米間で合意された。市街地に囲まれて最も危険な基地とされる普天間飛行場を全面返還し、基地機能を辺野古に移すとともに、海兵隊8000人をグアムに移動させるのが現行計画である。政権交代前に日米両政府間で協定も調印され、最大の負担軽減策になるはずだった。鳩山氏は新たな展望もないまま総選挙中に「最低でも県外」を叫び、八方ふさがりになると一転して、県内を「お願い」する。首相は最近「県外」は民主党の総選挙公約ではないと言い出した。有権者から見れば、総選挙で政権交代すれば首相に就任する党代表の発言は、公約以外の何ものでもない。
鳩山首相は、沖縄の海兵隊について「抑止力としての認識が浅かった」ことを認めたが、発言通りとすれば、一国の指導者としての資質に欠けると言わざるを得ない。60年安保論争以来50年間、在日米軍は野党だった民主党を含め繰り返し国会論戦の焦点になってきた。この間鳩山氏は何を見聞きしていたのか。国家安全保障の要である日米同盟関係の認識も欠いていたということではないか。首相就任後初の国会の代表質問で「日米同盟は日本外交の基軸だ」と自民党政権と同じ発言をしたが、米国の核の傘を含む「拡大抑止」についての知見もないまま答弁したのか。再び中国の古典を引く。「政(まつりごと)を為(な)すは人に在り」。政治の根本は政治を行う人物の如何によるということである。政治指導者の重い責任が問われるゆえんである。
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