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2010-05-21 23:57
頑固なアルバニア人は「謎の民族」
小沢 一彦
桜美林大学教授
かつて、「コンバット」というアメリカのテレビ番組の中で、米兵のヘンリー少尉が、ドイツ占領下の土地で、アルバニア兵の格好をして、うまくドイツ兵による身元確認を無事通過する場面がありましたが、それだけ、ヨーロッパ人にとっても、アルバニアは「不思議の国」なのです。ところが、ヨーロッパの歴史地図を見ても、マケドニアやアルバニアはかなり古くから、ほぼ現在の位置に存在しているのです。紀元前1000年頃から栄えた古代イリュリア人の末裔だとする説が有力です。これだけ、大国の興亡が繰り返され、世界秩序形成原理が激動する中で、連綿として荒波を乗り越えてきたアルバニア人は、団結力が強いだけでなく、プライドも高く、独立心も旺盛な「民族」です。その人口は、国内に320万人、国外のコソボに200万人いるほか、他のバルカン諸国にも散在しています。
共産主義政権時代には長らく「鎖国体制」をとっていた関係で、陸路の交通の不便なこと。バスと白タクでオフリドなどから西部へと移動するしか手立てがありません。目立たず、礼儀正しく、かつ堂々としていることが、こうした危険地帯で生き延びる際の鉄則です。マケドニアに関する前回投稿記事でも申しましたように、マケドニア西部地域に多く住むアルバニア人はマケドニアから分離独立したがっているのですから、こちらも緊張の連続です。アルバニア人の外見は、15世紀より長期にわたりオスマン・トルコの支配下にあったにもかかわらず、金髪碧眼も多く、背丈もバラバラで、じつに多種多様でした。また、共産主義時代の1967年には「無神国家」宣言までしており、無宗教者や東方正教会、イスラームの信者も混在しています。
その他、特筆すべきは、ユニークな共産主義体制です。1946年に王政を廃止し、エンヴァル・ホッジャ首班の人民共和国設立を宣言しましたが、1948年には労働党へと改名しました。その後、ユーゴスラビアと断交し、1961年からは「ソ連修正主義」を非難し、国家総動員法のようなかたちで国民皆兵制度を敷き国土防衛を強化、そして中国にも接近しています。さらには文化大革命に刺激されて、先の宗教完全否定宣言にまで暴走し、結局は欧州一の最貧国と称されるまでに「化石化」した鎖国体制を採ったのです。「鷲の国」アルバニアは、アイデンティティを維持するため、とことん独自路線をゆく「謎の民族」として、その頑固一徹な性格は古代から変わらぬようです。
社会主義体制の崩壊後は、ホッジャの後継者・ラミズ・アリアによって、経済の自由化や門戸開放政策も進みましたが、市場経済に不慣れな中で、1997年には大規模なネズミ講破綻事件をきっかけに、アルバニア全土で暴動が発生しました。現在は、ようやく落ち着きを取り戻したところですが、武器も蔓延し、政治体制も脆弱で、経済発展は停滞したままです。旧労働党(共産党)から名称を変えた社会党から権力を奪取した、アルバニア民主党のバミル・トピ大統領とサリ・ベリシヤ首相のコンビで、2009年にはNATOにも加盟することで合意した上、EU加盟希望国としても待機中です。不慣れな「民主主義」体制の下で、微妙なバランスの上で政治的安定を何とか維持しているのが現状です。
ちなみに、(彼女には自分のアイデンティティについてなど、全く関心はなかったでしょうが)、あのインドなどで人種や民族を超えて、慈善活動に献身的に働いたマザー・テレサは、マケドニアのスコピエにあったオシャレな商店街にもにもその銅像がありましたが、実はマケドニア生まれのアルバニア人というルーツだったのです。
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