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2010-05-29 09:20
「ローマ人の国」ルーマニア
小沢一彦
大学教授
人口7500万人を抱える大国・トルコの現状を視察後は、さすがに陸路でのバルカン・東欧大遠征には疲れたため、空路タロム航空で、ルーマニアのブカレスト入りをしました。名前の通り、ローマ帝国がダキア人など先住民を駆逐して、駐留したため、スラブ民族の中でも特殊な歴史文化を築いてきました。その後は、ゴート人、フン族、ゲピト人、アヴァール人、ブルガリア人なども侵入しており、外見は明らかにスラブ系に近いように思えます。
ルーマニアといえば、やはりドラキュラ伯爵と「国民の館」を築いた独裁者のニコラエ・チャウシェスクが有名です。中世のルーマニアには、ワラキア、モルダビア、トランスシルバニアの3公国がありましたが、ハプスブルグ帝国やオスマン帝国に従属していました。15世紀頃、オスマン軍に恐れられたのが、ワラキア公のヴラド・ツェペッシュで、別名「ドラキュラ伯爵」です。ブラン城に立てこもり、ワラキア平原から押し寄せるオスマン軍と勇猛果敢に戦った人物です。見せしめとして敵兵を串刺しにして、城の周りに並べるなど、その残虐さからドラキュラ伝説が生まれたのです。
もう一人有名なのは、1965年に労働党党首のデジから権力を引き継いだチャウシェスクです。黒海の石油資源などを背景に、旧ソ連とは距離を置きながら、内向きの独裁体制を敷き、「国民の館」という大理石の巨大な建築物を1500億円も投じて建設し、国民が窮乏する中で王侯貴族のような生活をしていたのです。1989年に、東欧革命の一環で、ルーマニア民主化勢力が決起。逃亡しようとしたチャウシェスク夫妻が「人民裁判」で処刑されたのは、記憶に新しいところです。現在のルーマニアは、ダチアなどの自動車生産もしていますが、性能では欧米日にかなわず、石油輸出などで細々と稼いでおりますが、人口が2200万人いても、国内市場の購買力も限られ、さらに輸出競争力で劣るため、カジノ、売春、麻薬などのマフィア経済が発達していました。
2004年からは親米派のトライアン・バセスク大統領の下で、急速に西側に接近し、2004年にはNATO、そして2007年にはブルガリアとともにEUにも産業経済体制の改革を条件に加盟。さらに、ロシアを刺激し続けているのですが、2009年のポーランドに続いて、2010年には、ルーマニアも欧米主導のミサイル防衛計画に参加し、地上発射型迎撃ミサイルSM3の国内配備に同意しています。こうした、地域安全保障にかかわる拡大NATOの問題での防衛協力に加え、ルーマニアはEUの中での中心と周辺の経済格差の矛盾にも直面し、財政危機にあるギリシアやスペインのようにならないためにも国内経済改革に努めているところです。
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