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2010-06-16 23:55
問われる「ヨーロッパ」の地理的範囲
小沢 一彦
大学教授
前回の投稿で、欧州連合の不安な未来についてコメントしたが、今回、スカンジナビアから西欧、東欧、バルカン、南欧、そしてその周辺諸国を視察して、一体「ヨーロッパ」とはそもそもどこの地域を指すのかについて、考えるところがあったので、その問題意識を改めて整理しておきたい。多くの論者は、ヨーロッパ地域の定義として、かつての古代ローマ帝国の(属州を除く)領域や、神聖ローマ帝国に含まれていたおよそ11カ国の領土とみなしている。そのローマ帝国の395年の分裂後は、「西欧」がキリスト教カトリック圏とプロテスタント圏を含む地域。また、ギリシア正教圏が「東欧」として区分されてきた。しかし、最広義の定義としては、ウラル山脈以西の(セム・ハム語族系以外の)キリスト教およびその派生宗教を信ずる45カ国とする説も存在する。
ローマ帝国分裂後は、不安定なフランク王国や東ローマ(ビザンチン)帝国が、中世までこの地域を守り続ける。全盛期は6世紀半ばのユスティニアヌス帝の時代で、北アフリカから、イタリア半島までを手中に収めていた。また、同時期に公用語もラテン語からギリシア語に変更されている。首都をコンスタンチノープルに置いていたビザンチン帝国は、地中海貿易で西欧とは段違いの繁栄を謳歌し、ソリドゥス金貨などの貨幣経済を打ち立てている。軍管区制と屯田制を敷き、外敵に備えたが、次第に異民族が流入するようになった。ギリシア正教会が権威を持ち、皇帝教皇主義を採用していた。この東ローマ帝国も、1453年にオスマン・トルコ軍により滅ぼされ、キリスト教圏の中心は、神聖ローマ(ハプスブルグ)帝国を中心とする北西部に移動するのだ。
現在財政危機に直面するEU27カ国は、歴史的には主にビザンチン帝国か、神聖ローマ帝国のどちらかに属している。EUは、当初は近代民主主義の原点であるフランス革命の精神を賛美したフリードリヒ・シラーの「歓喜に寄せる」の詩にイメージされる「白人」世界を想定したものであった。ゲルマン、ラテン、ノルマン、ケルト系の「白人」世界である。前回投稿でも指摘したように、EUの起源は「仏独間の恒久平和のための資源共同管理だった」ことを想起されたし。ところが、27カ国まで拡大すると、アイデンティティーも拡散し、不明確になった。共通通貨ユーロに非加盟のイギリス、孤高を保つスイス、漁業利権保護を優先するアイスランド、民族紛争の後遺症に悩む旧ユーゴスラビア諸国、そしてロシアとの緊張関係を抱えたままの東欧やバルト諸国、さらにはウクライナやトルコと、EUへの加盟あるいはEUとの関係の調整に悩む諸国は多い。
安全保障の観点からヨーロッパの地理的範囲は、第二次世界大戦時には「フランス北西部のブレストから旧ソ連北西部のブレスト・リフトフスクまで」とされていたが、1991年からのポスト冷戦期では「バンクーバーからウラジヴォストークまで」と再定義されている。これはジェームス・ベイカー米国元国務長官の発言だが、日本排除などの悪気はないと期待したい。それにしても、やはり「ヨーロッパ」とは、NATOやOSCEとほぼ同様の地域であり、キリスト教圏でコーカソイドが多数を占める地域のことを指すのである。多極化の進行している世界で、日本はイギリス型の道(アメリカとの同盟を重視し、通貨ポンドを維持しながら、EUにも加盟するというスタイル)をとるのか、フランス・ドイツ型の道(EUを重視し、アメリカとは一歩距離を置くというスタイル)をとるのか、いずれ近未来に(S・ハンティントンが予言したように)外交上の二者択一を迫られる時が来るはずである。
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