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2010-06-20 00:42
外交素人を白状する菅首相の「永井陽之助の弟子」喧伝
高峰 康修
岡崎研究所特別研究員
菅首相は、民主党代表選、首相としての国会での所信表明、さらには街頭演説でも、「自分は有名な国際政治学者であった故・永井陽之助氏に私淑している」ということを、繰り返し喧伝している。永井陽之助は、冷戦時代のパシフィスト(空想的平和主義者)全盛の時代に「リアリスト」と評された稀有な国際政治学者である。菅氏は、例えば6月11日の所信表明演説の中で、「私は、若い頃、イデオロギーではなく、現実主義をベースに国際政治を論じ、『平和の代償』という名著を著された永井陽之助先生を中心に、勉強会を重ねました。(中略)世界平和という理想を求めつつ、“現実主義”を基調とした外交を推進すべきと考えます」と述べている。
菅氏がこのように永井陽之助をたびたび引き合いに出すのは、「リアリスト」と評された同氏の「弟子」であることを強調することによって、「鳩山前首相の過度に理想主義的な外交方針から決別し、現実的な外交政策を実施するのだ」というイメージを鮮明に打ち出したい、という理由によるものであろう。現在のところ、菅氏が「日米同盟を基軸とする」と述べ、「普天間移設に関する5月の日米合意を履行する」と明言し、懸念された拙速な中国訪問(鳩山首相が約束していた上海万博訪問)を行わないなど、「現実的」な対応をしていることを認めるのは、吝かではない。ただ、普天間問題をはじめとする日米関係については、前任者が決めたことをそのまま継承しているだけであり、これをもって菅外交が現実的であると安心するのは、時期尚早であろう。菅氏は、在日米海兵隊不要論者であり、また、日米中正三角形論を仄めかすような発言も行なっている。
ところで、一国の宰相が、一人の学者に傾倒しているとの発言を、これほどまで執拗に繰り返すのは、極めて奇異なことであるように思われる。永井陽之助は、「パシフィストにあらずんば知識人にあらず」といった時代にあっては、確かに「リアリスト」として貴重な存在であった。しかし、政策論としては、結局、軽武装・経済重視の「吉田ドクトリン」を是とするというものであり、軍事力軽視であったことは否めない。「政治的リアリスト」と評される所以である。これは、中国の台頭や朝鮮半島情勢の不透明さにより、ますます軍事力の重要性が高まっている我が国の現在の安全保障環境においては、適切であるとは思われない。ただ、ここで問題としたいのは、永井陽之助の学問ではない。
首相が一人の国際政治学者に心酔していることを喧伝することは、逆に、外交に関しては全く素人であると白状しているようなものだ、という点である。これまで、菅氏が外交・安全保障に関してまとまった政策提言をしたのを、寡聞にして聞いたことがない。菅氏の永井陽之助礼賛には、そのことへのコンプレックスが感じられる。そういう印象を与えてしまうこと自体が、すでに素人じみているのである。菅氏が首相として取るべき態度は、「俺は永井陽之助の弟子だ」と力むことではなく、外交専門家の助言に謙虚に耳を傾けることである。それこそが現実的な外交政策に繋がるのであって、言葉だけ「現実主義外交」と言ってみても仕方がない話である。
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