ホーム
新規
投稿
検索
検索
お問合わせ
2010-10-06 07:41
菅は「小沢国会招致」の公約を守れ
杉浦 正章
政治評論家
「これは権力闘争ですから」というごますり議員に、小沢一郎は「そうだな」と涙を流したと言うが、本当はうれし涙ではないか。というのも、東京第5検察審査会の起訴議決に民主党首脳は首相・菅直人以下腰が引けて、ただ一人真正面から小沢批判を口にした国会対策委員長代理・牧野聖修に至っては5日、辞任に追い込まれた。言論の自由まで封じるとは民主主義政党かと言いたくなる。異常事態であることに政権は気づいていない。おまけに見当外れの検察審査会批判まで横行している。小沢擁護派が小沢を守る発言をするのは当然だ。国民感情との落差は、代表選挙での小沢支持票が200票に達したことからも十分立証されており、次の選挙での落選を覚悟したものであろう。問題は菅以下閣僚や執行部に、自浄能力を感じさせる発言がないことだ。とりわけひどいのは菅が口をつぐんでいることだ。先の代表選挙における9月2日の公開討論では、小沢の国会招致を明言、紛れもない政権公約になっているしていることを、とんと忘れている。
一時は「幹事長辞任がけじめ」と述べてきた菅は、同討論会で「今回、改めて代表選に小沢さんが立候補したので、より国民の皆さんが納得できる形での説明はされなければならない。そういう国民の皆さんのいわば常識というものが、国会においてもきちっと受け入れられなければならないだろうと思っています」と発言したのだ。新聞も政党も忘れているが、明らかに国会招致に応ずる姿勢を鮮明にしている。「有言実行内閣」を掲げる以上、国会招致の実行は避けられない。外相・前原誠司に至っては、俗語を使えば「ずるい」対応だ。先に第1審査会が不起訴不当の議決をした際には、「自ら政治倫理審査会に出て説明しても、構わないことだ」と国会招致を公言していたにもかかわらず、今回は「本人が決めること」と、一転弱腰になった。しかしこうした首相や閣僚の公式発言は、いわば臨時国会で野党が言質として使えるものであり、国会審議では、答弁によっては変節が問われるだろう。それに比べると牧野は6日朝もテレビで「小沢さんは愛党精神がない。あれば自ら身を引くだろう。それが小沢さんの限界だ」といささかもぶれていない。
加えてひどいのは検察審議会批判だ。レベルの低いコメンテーターが「無罪があり得るのに、おかしい」と、とんちんかんな批判するのはともかくとして、民主党幹部からの批判は容認しがたいものがある。川内博史は「取調べの全面可視化を実現する議員連盟」で「あるマスコミ関係者が『今回の審査会の議決は検察審査会の暴走だ』と言っていた」とマスコミの名を借りて審査会を批判した。しかし審査会の議決内容を見ると、その基本認識は「政治家の場合、疑わしきは司法の場へ」とする新たな論拠が見られる。とりわけ小沢が土地購入資金4億円があるにもかかわらず、銀行から借り入れた問題は、誰が見ても隠ぺい工作ではないかと思いたくなる。検察が120%の確証がなければ起訴しないところを、100%の確証で起訴するのは、高度の政治倫理を要求される政治家の場合許されて当然ではないか。とりわけ政治家が秘書に責任を転嫁することに、現行政治資金規正法では十分な対応ができていない。
秘書への監督責任を強化する方向で法改正の動きがあるが、法改正されるまでは検察審がその間隙を埋める対応をする役割を担ってもよい。検察審査会法が第1条で「公訴権の実行に関し、民意を反映させてその適正を図る」としている趣旨に全く合致している。野党は小沢の証人喚問要求に踏み切ったが、今の菅の立ち位置から見れば、民主党はこれに応じまい。全会一致が原則だから、実現は困難とみられる。しかし、菅と前原外相が、かつて参考人招致などに前向きな姿勢を示していたことに加え、小沢も代表選で「何のやましいこともないから、国会で説明する」と公言しており、少なくとも参考人招致か、政治倫理審査会への出席は、実現しなければ国会全体の浄化能力が問われる。
>>>この投稿にコメントする
修正する
投稿履歴
一覧へ戻る
総論稿数:5546本
公益財団法人
日本国際フォーラム