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2011-01-11 21:41
胡錦濤訪米による米中相互依存の強化を期待する
角田 勝彦
団体役員
「相互依存で戦争を予防できるのか」というテーマをめぐっての河村洋氏(1月8日投稿)と現田実氏(1月8日投稿)の投稿を読んで、外務省退官後、ある大学で国際関係論を教えていた頃の議論を懐かしく思い出した。「相互依存『だけ』では戦争の予防は出来ない」のはその通りであるが、「軍事的抑止力の向上と同盟国との戦略提携強化」『だけ』でも戦争の予防は出来ない。さらに「世界秩序」への挑戦と言っても、米国自身が単極構造の存在を否定している現在、「協調強化」こそが最良の策ではないだろうか。1月18日からの中国の胡錦濤国家主席の米国公式訪問により、両国間の協力関係が進展することを期待する。
まず理論から考察したい。私は「平和の理想主義と現実主義」と名付けていたが、中国の性善説(孟子)と性悪説(荀子)、西欧の理想論(グロティウスやカント)と現実論(ホッブス)の間の対立にその系譜をたどることが出来る。相互依存論(コヘイン、ナイら)などのリベラリズムと勢力均衡論(モーゲンソーら)などのリアリズムの間の対立は、今後も続きそうである。すなわち、第2次大戦後、一つの理論ですべての国際関係・国際政治を説明できるという、いわゆる「グランド・セオリー」(行動科学的アプローチを含む総合理論)が試みられているが、樹立されたとは言い難い。ちなみに、以前本欄への投稿で解説した私の「ニュールネサンスとメタモダン」論もその試みの一つである。なお、現田実氏が言うように「相互依存だけでは戦争の予防は出来ない」が、主流であるリアリズムも「協調が決して生じない」とは言っておらず、単に「規範となっていない」とみているのである。アナーキーな国家間システムにおいても、協調は可能なのである。
国際関係論、とくにその嚆矢である国際政治学は、河村洋氏が指摘するように「19世紀末から20世紀初頭にかけて英独が良好な関係にあり、西欧が平和と繁栄を謳歌していたのに、何故未曾有の惨禍をもたらした第一次大戦を防げなかったのか、再発を防ぐ方法はあるのか」という分析に始まる。ウィルソン米大統領が唱道した「集団安全保障体制」(国際連盟)は、その具体的回答の一つであった。仮想敵国を想定する「同盟」は、相互に対抗しての軍備の拡大と参戦の義務化(集団的自衛権)により戦争の危険性を増大させるという考え方である。国際連合発足時も、当初は集団安全保障体制のみが想定され、米州機構(同盟)が認められないのは困るとする中南米の反対に鑑み、集団的自衛権が加えられたのである。
現在、安全保障問題を考慮するにあたり、さらに核戦争の脅威という問題がある。核戦争には勝者はないだろう。国際テロリストは、警察活動に準じて国際的に取り締まらざるを得ないが、国家間の関係においては、従来より慎重な対処が必要になっている。幸い現在は国内統治体制の相違はあっても、冷戦時代と違いイデオロギーを巡る根本的対立はない。また「世界秩序」についても、米国自体が単極構造を否定しており、河村洋氏のいう「挑戦」の意味は判然としない。また主権国家を「飼い慣らす」のは、求める方が無理だろう。中国の胡錦濤国家主席は1月18日から米国を公式訪問する。2010年は経済、外交、軍事問題で米中摩擦が多く発生した。しかし、7日発売の『中国新聞週刊』は「今の米中対立はかつての米ソ対立とは異なる」とし、例えば北朝鮮問題について「双方はともに朝鮮半島の平和と安定を望んでいるが、問題を解決する具体的な方法について相違があるだけだ」と、首脳会談に期待をかけている。米中両国間の協力・相互依存関係が進展することを期待する。
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