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2011-02-24 21:09
バーレーンにおける民主化運動と米軍第5艦隊のジレンマ
川上 高司
拓殖大学教授
独裁政権に対する反政府デモの嵐は、もはや誰にも止められない。それはネットの力もさることながら、オバマ大統領の「市民の権利を尊重する」という姿勢に後押しされているからでもある。それは、かつての東欧諸国が「ソ連はもう戦車を送ってこない」と安心して、民主化に突き進んだ経緯とよく似ている。そしてとうとうアラビア半島の反対側のバーレーンにも嵐は到達した。バーレーンの人口は、およそ120万人だが、バーレーン国民は46%程度で、残りの54%は外国人労働者である。領土といっても30ほどの島が集まった小さな国である。だが、イランの対岸にあり、ペルシャ湾の要衝にあって、戦略的には重要なポイントで、アメリカ海軍第5艦隊の基地がある。そのためオバマ大統領も手放しでは反政府デモを喜べない。海軍出身のムラン統合参謀本部議長が、エジプトデモ以来中東諸国を走り回っている所以である。
バーレーン国民は、70%がシーア派、30%がスンニ派である。しかし、支配層のハリファ王家はスンニ派であるために、シーア派はなにかと冷遇されてきた。このためシーア派は貧困層を形成している。バーレーンのデモは、最初は貧困にあえぐシーア派が待遇改善を求めて立ち上がったいわば条件闘争だった。政府は、各世帯に2660ドルを支給し、食糧配給を増やして、シーア派の懐柔を試みたが、デモは収まらなかった。そのため政府は、デモに対して、武力鎮圧策に転じた。
その鎮圧で死傷者がでたため、デモ隊はいっそう燃え上がり、ただの条件闘争が反政府デモになってしまった。政府はさらに厳しい鎮圧行動にでたため、死傷者が増え、ついにオバマ大統領はバーレーン政府に対して武力行使を控えるように諭した。それが功を奏して、政府は治安部隊をパール広場から撤退させ、デモ隊が再び広場を占拠した。パール広場は、バーレーンの首都にある真珠をモチーフにした塔で、第2のタハリール広場と市民は呼んでいる。
確かにデモ隊はシーア派が多い。反政府デモが成功してシーア派が政権をとれば、イランの影響が強まると恐れるサウジアラビアは、露骨に介入の姿勢を見せているし、アメリカにとっても第5艦隊が追い出される可能性があり、無関心ではいられない。だが、シーア派のバーレーンがイランに追従するかというと、それほど単純でもない。イランはペルシャ民族であり、バーレーンはアラブ民族である。宗派の前には、民族の違い、歴史の違いが横たわる。中東は一筋縄ではいかない。ここバーレーンは、アラブ系スンニ派「サウジアラビア」とペルシャ系シーア派「イラン」が角を突き合わせている最前線といえよう。
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