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2006-08-11 12:03
ODAと日本の国益について
塚崎公義
久留米大学助教授
なぜ政府は開発援助を行なうのでしょうか。慈悲の心なのか国益のためなのか、先進国の義務だからなのか、人によって考え方が大きく異なっているのかもしれません。私としては、国益のためであると考えます。単なる慈善事業であれば、国民が自発的に赤十字などに寄付をすればよいので、公権力で税金を徴収して行なうのでは趣旨に反するでしょう。先進国としての義務だから仕方なく行なうということであっても、どうせ行なわなければならないことならば、少しでも国益に沿った形での支出をすべきだと考えるわけです。
政府開発援助大綱は、ODAの目的を「国際社会の平和と発展に貢献し、これを通じて我が国の安全と繁栄の確保に資することである」としています。国益という言葉は一応使われていますが、一義的には国際社会の平和と発展が目的であり、世界が平和になれば結果としてわが国も安全になり、世界経済が発展すれば結果としてわが国も繁栄するといった間接的なものであって、ODA支出がどの程度我が国の国益に寄与しているのか極めて不明確なものとなっています。国民の血税を使うわけですから、もっとストレートに「いくら血税をつぎ込むとどの程度国益になるのか」という議論が必要でしょう。(他の支出項目でもこうした議論の必要なものは数多いように思われますが、今回は議論をODAに絞りましょう)。
冷戦時代の米ソの援助は、露骨に戦略的な軍事援助が多かったようですが、そこまで行かなくても、今でも諸外国の援助は直接の国益を意図したものが少なくありません。日本としては、あまり露骨なことをするのは如何かとは思いますが、少なくとも援助の相手国と我が国との関係が援助によって改善するということは必要なのではないでしょうか。日本を批判する国に援助を行なって批判を和らげるのでもよいですし、親日的な国を更に親日的にするために援助をするのもよいでしょう。何らかの効果の見込まれる血税の使い方が望まれます。その意味では、日本から援助を受けている国々が日本の常任理事国入りを支持したのか否か、といったことは充分検証する必要があるでしょう。日本が常任理事国になるべきか否かという点については別途議論の必要はありますが、少なくとも日本政府がそれを目指したのであれば、援助相手国がそれを支援してくれることは望ましいことに違いなく、そうでないとすれば大変残念なことです。
本来、こうした議論は公の場でなすべきではなく、密室で行なうべきかもしれません。公の場で議論すれば、「国民の血税を使うのだから、国益に資することが第一だ」といった発言をする人がシュリンクしてしまう可能性があります。「援助するから国際会議で日本の味方をしてほしい」といった姿勢を露骨に出すようでは逆効果になってしまうので、そう思っている人ほどそうは言わないものだからです。先進国としての義務だから嫌々やっているという意見も、公の場では出にくいでしょう。これも国際的な日本の印象を大いに損なう原因となりかねないからです。しかし、それでもなお、血税の使い方である以上はある程度公に議論する必要があるように思い、敢えてこの問題を採り上げてみました。活発に御議論いただければ幸いです。
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