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2011-07-05 08:01
ODA指針で「復興外交」を謳う歪みを憂慮する
高峰 康修
岡崎研究所特別研究員
政府開発援助(ODA)が日本外交の一つの柱であることは論を俟たず、その額の増減や使途はあくまでも外交政策に資するか否かの観点からなされるべきである。例えば、ODA予算は近年は6000億円程度だから、財政再建の観点から増減を論ずるのは無意味であるが、他方で、国益に資することのない用途は「額が小さい」といっても、削減から中止へと進むべきである。後者の典型としては、対中無償援助・技術供与が挙げられよう。このほど示された2011年度国際協力重点方針は、上述の原則からすれば、いささか無理があると言わざるを得ない。2011年度重点方針は、東日本大震災を巡る「復興外交」を最重要課題に位置付けている。そもそも「復興外交」という言葉自体、論理的におかしい。被災国は日本自身なのだから、復興は内政問題のはずである。
さて、2011年度重点方針に言うところの「復興外交」とは、次のようなものであるとのことである。すなわち、(1)海外への支援物資として被災3県(岩手、宮城、福島)で製造している水産物などの缶詰を積極的に購入する、(2)農業技術や語学などの分野での外国人研修生の受け入れは被災3県を優先的に選ぶ、(3)ODA予算を日本の高度な耐震技術が国際的に活用されるような態勢作りに活用する。(1)と(3)に関しては、結構なことと思うが、「復興外交」として大々的に打ち上げるのは不自然である。(2)はどうであろうか。復興で大変な被災3県に外国人研修生を呼ぶのは、受け入れ自治体にとっても負担であろうし、外国人研修生にとってもあまりメリットがあるとも思われないが、指針は「研修生が被災地で一定期間過ごすことにより、地域経済の立て直しに貢献してくれるはずだ」と言っている。その効果に疑問があると同時に、これではODAの精神からあまりにも逸脱している。
2011年度重点方針がこのように歪んだものとなった元凶は、震災発生後直ちに決められたODA予算の1割削減にある。そして、ODA予算は、さらなる削減圧力にさらされているので、それをなんとかかわすために苦肉の策として、今や錦の御旗と化している震災復興と無理に絡めざるを得なかったということであろう。それにしても、震災直後直ちにODA予算を1割削減すると決定したのは、なんと愚かな行為であったかと思う。震災に際して、多くの途上国から日本に対する援助の申し出があった。これは、我が国に対するよいイメージが広く認められていたからであり、その一つに良質のODAがあったことも間違いない。我が国のソフトパワーを再認識すべきところ、わざわざそれを減殺するようなメッセージを発したのだから、国際感覚があまりにも欠如している。
そして、はじめにも述べた通り、ODA予算は6000億円程度だから、それを1割削減しても600億円程度の財源しか得られず、総額15兆円規模にも達すると言われる復興費用全体からみれば、微々たるものである。それと我が国の重要な外交的資産を引き換えにするという判断は、適切であったとは到底思われない。2011年度重点方針は、対アフリカ支援や気候変動対策支援といった国際公約は誠実に実現していくとしている。それはせめてもの救いだが、先にODA予算1割削減と大々的に打ち出してしまったマイナス・イメージを打ち消すだけの効果があるかは疑問である。私はODAの額は多ければ多いほどよいなどという短絡的な立場には決して与するものではないが、震災復興を理由にODAの方針にまで歪みが出ていることは、大いに憂慮すべきことであると思う。
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