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2011-12-13 09:46
京都議定書は離脱したが、25%削減目標はまだ生きている
高峰 康修
岡崎研究所特別研究員
南アフリカのダーバンで開催されていた、国連気候変動枠組み条約第17回締約国会議(COP17)は、12月10日に閉幕予定のところ、11日まで延長して、ようやく「ダーバン合意」を採択し、閉幕した。ダーバン合意は、次の三本の柱からなる。すなわち、(1)京都議定書を延長する、(2)2020年にすべての国が参加する新しい法的枠組みを発効させる、(3)新枠組みは2015年までに採択する。京都議定書の延長に関しては、2013~17年の5年間と、2013~20年の8年間の、2案が併記された。我が国はかねてより、京都議定書が延長されたならば、京都議定書を離脱すると明言しており、その通りの対応をとった。京都議定書は、先進国のみが温室効果ガス削減義務を負い、中国やインドといった温室効果ガスを大量に排出する新興国は削減義務を負わず、最大の温室効果ガス排出国である米国は参加していない。
確かに、気候変動枠組み条約には、先進国と途上国の間の責任について、「共通だが差異ある責任」としているが、京都議定書の規定は、それを大きく逸脱する不公平性を抱えている。また、実効性の面からも極めて疑わしい。気候変動枠組み条約が採択されたのは1992年であり、京都議定書は1997年である。当初は価値があったと言えようが、今や、実情を反映していない歴史的遺産といっても、過言ではない。我が国が、京都議定書の延長に応じず、離脱する道をぶれることなく貫いたのは、正しい決断であると評価したい。しかし、それでもなお、我が国の姿勢には違和感が残る。細野環境相は、会議の終了を待たず、10日には帰国の途に就いた。私には、これは、松岡洋右の国際連盟脱退を想起させるものとして映った。何が問題なのか考えてみるに、京都議定書離脱という戦術が目的化し、我が国の今後の温室効果ガス削減交渉の戦略が閑却されている点が根本的な問題点である。温室効果ガス削減交渉への取り組みは、地球環境の保護というグローバルかつ道徳的な目標と、自国の都合をいかに調和させるかというのが本質である。
京都議定書の離脱により、2013年以降は、同議定書に基づく年平均6%の温室効果ガス削減義務は負わないことになった。しかし、2020年までに1990年比で25%削減するという中期目標は依然として生きている。2009年のCOP15におけるコペンハーゲン合意に基づいて、我が国は気候変動枠組み条約事務局に対して、2020年までの中期目標について、「25%削減、ただし、すべての主要国による公平かつ実効性のある国際枠組みの構築及び意欲的な目標の合意を前提とする」との口上書を提出している。コペンハーゲン合意は当初は、気候変動枠組み条約下の正式合意ではなかった。しかし、2010年のCOP16で採択されたカンクン合意において、コペンハーゲン合意に基づいて提出された各国の排出削減プレッジ(約束)は、気候変動枠組条約下の正式なものと位置づけられたのである。すると、我が国は、京都議定書離脱後は自主努力という形で削減を進めていくことになるが、その数値目標は、法的拘束力はないものの、カンクン合意を受けて、2020年までに1990年比25%削減ということになる。
本来、COP17の交渉過程は、明らかに「すべての主要国による公平かつ実効性のある国際枠組みの構築及び意欲的な目標の合意」という前提を欠いていたのだから、COP17において、マイナス25%の目標見直しを明言してしかるべきであった。マイナス25%の目標を達成できる見込みは皆無であるし、ちょうどその前提条件も崩れている。早急に見直す必要がある。ここを曖昧にして、法的拘束力のない目標といえども達成できる見通しがないとなれば、2020年以降の枠組み作りの国際交渉において、我が国の信用は低下し、悪い立場に置かれることになる。国内的にも、実行可能な目標を定めなければ、対応のしようがない。この段階で、地球温暖化対策税(炭素税)の導入を、2012年度税制改正大綱に盛り込むなど、容認できるものではない。京都議定書離脱は、あくまで一つの手段であり、入口に過ぎない。それを以て、一大功績とすべきものではなく、民主党政権には、軽率に国際公約としてしまったマイナス25%の中期目標を、責任をもって、衡平性と実効性あるものに見直すことが強く求められる。
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