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2006-11-06 11:24
規制緩和と結果責任
大藏雄之助
評論家
欧米諸国と日本との考え方の違いの一つとして、よく機会の平等を求めるか結果の平等を重視するかということが言われるが、これを別の面から見ると、入り口と出口のどちらで物事をコントロールするかということだ。
周知の通り、わが国では学校でも会社でも入るときの競争は厳しいが、入ってしまえばその後は大した波乱はない。しかし、欧米先進諸国は逆である。
例えば自動車の免許を考えてみよう。私はかつてイギリスに長期駐在したために現地の運転免許を取得したが、その試験は実に簡単だった。視力の検査は路上で前の車のナンバーを読み取ればよく、駐停車禁止場所なども助手席にいる試験官が停車を指示した時に、停めてはいけない所だったら、その地点から最も近い適当な場所に自動車を寄せればすむ。免許証は常時携帯の必要はなく、提示を要求された場合は三日以内に最寄りの警察署に持参すればいい。免許証には写真もなく、終身制で、身体の変化は本人の申告制だった。ヨーロッパでは運転免許が要らない国もあったが、外国に行く国民のために免許証を発行していた。けれども、事故を起こしたときの罰は重く、人身事故にいたった際は理由の如何を問わず、まず刑務所行きは免れない。
このところ多くの高校で学習指導要領の必修科目を教えていなかったことが問題になっている。ヨーロッパではこうした心配はない。もちろん、文科省に当たる中央の教育行政機関は教育内容について詳細に定めていて、毎年全国一斉学力調査を行い、水準以下の学校長を解任する。大事なことは履修の有無ではなく、生徒が十分な知識を習得したか否かであり、それはまた全員が受ける義務のある中学・高校の卒業レベルの統一国家試験(センター試験のようなもの)で査定される。この成績は一生涯どこにでもついて回る。各大学は個別の学科試験は行わず、統一試験の成績で合否の判定をするのである。
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