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2006-12-11 18:26
沖縄対策は、暖かく丁寧に
角田勝彦
団体役員・元大使
忘れ得ぬ言葉がある。「…沖縄県民斯く戦へり。県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを」(昭和20年6月6日沖縄からの大田実中将玉砕前の決別電)はその一つである。つい最近、沖縄本島と南西諸島などを旅してきた。今回は、行くたびに涙する本島の戦跡は割愛したが、海を見に行った座間味島では、沖縄戦米軍上陸第一歩(3月26日午前9時)の地として村長以下59名の集団自決の場所などに案内され、粛然とした。他方、失業率は全国最高、県民所得は全国最低とのことで案じていたが、南国らしい明るさは変わらなかった。食事は内容豊富で割安、台風をしのぐためがっちりと作られた住居は新築が目立った。ハイウエイを含め道路は良く整備されていたし、那覇のモノレール(ゆいレール)には感心させられた。観光客が多いせいもあろうが、那覇市は、奇跡の1マイル(国際通り)は特別としても、人口30万人と思えないほど活気がある。
確かに、政府は、1972年5月返還協定が発効して沖縄県が発足してから、沖縄に特別の配慮をしてきた。1975年の沖縄海洋博や2000年の沖縄・九州サミットもその現れであろう。最近の沖縄科学技術大学院大学予算にも政治の特別の配慮がある。また、沖縄は、国家安全保障のため、米軍基地集中という形で多大の負担をしている。地理的位置からその是正には限界があるが、基地縮小など負担の物的軽減とともに、経済社会的支援により負担感を相殺すべきである。原発建設地への支援と同じで、特別扱いをして初めて公平となろう。
ところで、沖縄では、今後の日米関係に大きな影響を与える米軍再編の要である普天間基地移設問題が懸案になっている。移設が頓挫すると、沖縄の米海兵隊8,000人(及びその家族7,000人)のグアム島移転や嘉手納基地以南の施設・区域の返還も進まなくなる。11月の沖縄知事選では与党が推す仲井真(なかいま)弘多氏が野党統一候補の糸数慶子氏を破って初当選した。仲井真氏も移設政府案(キャンプシュワブ沿岸部に滑走路2本をV字型に配置する代替施設案。名護市長は大枠で合意)に反対しているが、柔軟姿勢も示している。しかし8月に初会合が行われた国と県、関係4市町村の協議会などで、今後どんな進展があるかは予測できない。協議は丁寧と誠意をモットーに行われねばならない。
周知の通り、日米両国が普天間返還(5~7年以内に代替施設を建設して返還)に合意したのは1996年であり、99年には名護市辺野古沖移設が閣議決定された。しかし反対派の実力行使もあって事態は動かず、2005年10月の在日米軍再編中間報告で普天間のキャンプシュワブ沿岸部への移設が盛り込まれたのである。06年5月の最終報告の再編計画が順調に進んでも、代替施設が完了するのは2014年である。それまで普天間飛行場は宜野湾市中心部に存在し続けることになるが、仲井真氏は政府に3年以内の飛行場周辺の危険性除去の具体案提示を求めている。私が市民に訊いたところでも、04年8月宜野湾市大学構内への米軍ヘリ墜落事件を例に挙げ、安全確保を最重要視する声が強かった。省に昇格が近い防衛庁などの智慧と誠意の見せ所である。また、仲井真氏の勝利の主因は、経済振興を訴え続けたことにあり、政府の支援に期待する声も多かった。沖縄県民の関心も現実的方向へ向かっているようである。
政府は、たとえば名護市など沖縄県北部の振興策について、一時、普天間移転の建設計画に合わせ検討する姿勢を示すなど、馬の鼻先に人参をぶら下げる方策をとった。姑息である。最近は沖縄県の継続要求に柔軟な対応を示しているようであるが、沖縄の経済活性化は地方振興の一部である。上に挙げた特別の事情もある。沖縄対策は、極力暖かく丁寧に行うべきである。
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