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2013-08-05 06:59
尖閣は「先送り」で、“日中長期研究体制”を作れ
杉浦 正章
政治評論家
「次の世代はきっと我々より賢くなる」として鄧小平が尖閣問題の棚上げを唱えてから、35年になる。一世代30年だからその次の世代に移行してから5年が過ぎたことになるが、今の世代は全然賢くなっていない。尖閣は一触即発の状態になってしまった。維新の会共同代表・石原慎太郎が仕掛けた罠に、日中両国がはまってしまった結果だ。賢くなるにはどうなるかだ。「棚上げ」が譲歩になるのなら、「先送り」しかあるまい。先送りして日中に新たな協議機関を設置して、民間学者も含めて“長期研究体制”を作ることだ。研究しながら「賢くない」現世代が、もう一世代先の次世代にすべてを託すことしかない。
元外務次官・栗山尚一ほど人柄が良くて切れる外交官は見たことがない。筆者がワシントン時代に大変お世話になった。もう時効だが大統領・フォード来日の特ダネを貰ったことを覚えている。その栗山が、8月4日付東京新聞のインタビューで尖閣解決について重要なる言及をしている。「国際的な紛争を解決する方法は三つ。外交交渉、司法的解決、解決しないことでの解決。最後の方法は、棚上げとか先送りとか言えるだろうが、尖閣問題を沈静化させるにはこの方法しかない」と述べているのだ。筆者は6月21日の記事でも「先送りしかない」と強調したが、期せずして当代随一の外交官の“読み”と一致した。栗山は棚上げという言葉を使ったが、棚上げは「領土問題が存在しないから、棚上げはない」とする見解に政府が凝り固まってしまったから、この言葉を使っただけで譲歩となる。したがって先送りしかないことになる。
栗山は日中国交正常化時の田中角栄・周恩来会談に同席したから、まさに生き証人だ。その主張はかねてから「両首脳の間で棚上げの暗黙の了解があった。ただし、あったのは暗黙の了解であって、中国側が『合意があった』というのは言い過ぎだ」というものである。栗山の言う暗黙の了解とは、田中・周会談でのやりとりで明快に出ている。田中は「尖閣問題で何も提起しないと、帰国後に困難に遭遇する」として「今私がちょっと提起しておけば申し開きが出来る」と述べ、周が「もっともだ。現在アメリカもこれをあげつらおうとし、この問題を大きくしている」と差し障りのない対応をした。問題は最後の場面で田中が「よしこれ以上は話す必要がなくなった。またにしよう」と述べ、周恩来が「またにしよう。いくつかの問題は時の推移を待ってから話そう」と答えた場面だ。これに田中が「国交が正常化すればその他の問題は解決出来ると信ずる」と付け加えて終わった。栗山が言わんとするのは、まさにこの最後のやりとりであろう。
「棚上げ」という言葉は使っていないが、「先送り」したことは間違いない。元官房長官・野中広務が当時京都府議であるにもかかわらず、田中の側近のような口ぶりで、8月4日のテレビでも「棚上げ合意」を再び主張しているが、歴史の事実をねじ曲げるものだ。そもそも中国側の首脳から「棚上げ」の言葉が出されたのは、1978年の福田赳夫のときだ。鄧小平との会談の後の記者会見だ。鄧小平は「一時棚上げしても構わない。10年棚上げしても構いません。この時代の人間は知恵がたりません」として、冒頭述べた「賢い世代論」を主張したのだ。通訳は「棚上げ」と翻訳したが実際に四川なまりで「放っておく」を意味する「擺(バイ)」という言葉を使っている。これに先立つ外相・園田直の訪中の際にも、鄧は「擺在一遍(バイザイイービエン)(脇に放っておく)」と述べている。「棚に上げる」のではなく、「放っておく」が正確なのだ。従って野中の主張はもろくも崩れる。冒頭述べたように、賢くない世代が国政をになって5年が過ぎた。今後どうするかだが、栗山の言う「解決しない解決」しかあるまい。鄧小平も、自らの改革開放政策達成のためには日本の経済援助、資本の投下が不可欠である、という判断がその思いの根底にあった。莫大(ばくだい)なジャパンマネーを目当てにしていたことは間違いない。中国の経済成長と躍進のためには、尖閣などは「擺中の擺」であったのだ。しかしその躍進を達成して米国に次ぐ超大国となった今、鄧小平が生きていたら同じように「擺」などというかは疑わしい。むしろ尖閣をてこに極東制覇を目指す可能性の方が高い。
栗山がなぜこの時点であえて「棚上げ拒否」の政府の方針と逆の発言をしたかである。恐らく推察するに後輩の選択肢を広げる役目を果たそうとしているのではないか。つまり「棚上げ拒否」では、交渉にならないのである。あえて「棚上げ」ではなくとも、「先延ばし」で妥協する可能性を観測気球的に上げた可能性がある。とにかく尖閣問題は極右の主張などに乗って、戦争も辞さぬなどという路線は戒めなければならない。もちろん中国が甘く見ないように集団的自衛権、敵基地攻撃能力、海兵隊機能など抑止力は強化しなければならない。その上での外交なのである。筆者が1月28日に強調したように、日中両国は尖閣問題を共同して研究する場を設けるべきである。栗山も「歴史認識の問題も含めて、日中間に新しい協議の枠組みを作ることも必要」と同様の提唱をしている。民間学者も含めた協議機関を発足させるのだ。忍耐強く、たとえ30年間でも、半世紀でも、その研究を持続させる。問題の決着は日本がより繁栄して国力を維持できるか、衰退路線を辿るかによっても決まってくる。また中国共産党独裁体制が崩壊して、価値観を共有する民主主義政権が誕生するかによっても左右される。ここは問題を歴史の判断に委ねる時だ。
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