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2013-12-22 10:19
故堤清二氏を偲ぶ
山田 禎介
国際問題ジャーナリスト
堤清二氏が亡くなって、あちこちで惜しむ声を聞く。わたしも一期一会の経験がある。が、多くの例のように正式に紹介を得てではなく、新聞記者として現場に土足で踏み込むかたち。でも堤清二氏の、優雅な立ち振る舞いに圧倒された。小柄な紳士にありがちな傲慢不遜さはみじんもなかった。もう披露してもよいだろう。堤清二氏と当時の関係者は、すでに歴史の世界に入ってしまわれた。30年前のバブル期、セゾングループの総帥の堤清二氏とのインドネシア・ジャカルタでの出来事。日本大使館には連絡があったろうが、「堤清二氏と副頭取を含む邦銀各行幹部が極秘で訪問する」と華僑筋から聞いた。
当時、日本では銀行の合併・再編成の話で持ちきり。堤清二氏と一緒にライバルの銀行幹部同士があえて灼熱の熱帯を訪れるのだから、何かある~と、ひらめいた。しかも堤清二氏アテンド役の当時の現地邦銀支店長は、駐在記者団にこの極秘行動をすっかり隠した。堤氏のセゾンは、当時グローバルなホテル群の経営権を手中にしており、わたしはジャカルタのそのホテルのスイートルームに踏み込んだ。顔面蒼白で阻止した邦銀支店長。でも、堤清二氏は記者の名刺を手にすると、「どうぞ」と招き入れた。堤清二氏は語った。「同行した銀行VIPたちは旧制高校時代の仲間だ」とか、「いまや欧米でない。混沌のアジアが好きだ」とも。わたしの苦手な文学、文明論。さらに「この記者さんは古い友人なんですよ」と、棒立ちの邦銀支店長を諭したのには驚いた。
が後日、堤清二氏のしたたかさも味わった。やはりリゾート計画視察があったのだ。銀行合併もあった。粗相をしたこの邦銀支店長は実は将来の頭取候補のエリートだった。さらに堤清二氏には煙に巻かれたわたし。ともに、えらくはなれなかった。ところで今年の梅雨時、青山葬儀所での皇族関係者の通夜でお見かけしたのだが、この堤清二氏の親族の方は、財界人でありながら、一般弔問のわたしの後ろで、同じく雨に濡れて並んだ。その脇を当然だが、安倍首相や財界指導者の黒塗り高級車が次々に滑り込んで行った。堤清二氏と風貌もよく似た親族の方は、それには関せず、さりげない態度だった。傲慢不遜さはみじんもなかった。DNAなのだろうか。
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