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2014-06-02 17:30
憲法解釈変更とその手続き
船田 元
元経済企画庁長官
去る5月14日夕方、安倍総理の私的諮問機関である「安保法制懇談会」が、当面必要とされる安全保障に関する我が国の法整備の方向について、最終答申を提出した。政府がこれを実行すべき法的拘束力はないが、安倍総理は早速記者会見に臨み、答申の中身を与党内で精査し、そのほとんどを実行に移していくと表明した。
主な提言は、これまでの政府解釈で必要最小限を超えるため認められなかった「集団的自衛権の行使」を、解釈の変更によって条件付きで認めること。また武力行使に至らないグレーゾーン事態への対応や、国連や国際社会が行う「集団安全保障措置」への積極的な参加についても、可能とすべきと述べている。これらのことを憲法改正ではなく、解釈変更の閣議決定と自衛隊法など関連法律の改正により行うとした。これらの提言は、我が国を取り巻く安全保障環境の今後の一層の悪化に対して、抑止力を高める観点から妥当な内容だと思う。また第九条を含めた憲法改正によってこれを実現するには、相当な時間を要するため、解釈の変更によって行うことは、現実政治を行う上でやむを得ないと思う。
しかしながらこれらの内容は、実は自民党が一昨年発表した「憲法改正草案」の新しい九条の内容とほとんど同じである。ということは、安倍内閣が進めようとする解釈変更は、限定的なものとはいえ、憲法改正に匹敵するほどのものだと言えよう。本来の憲法改正には、必ず国民投票という手続きが伴う。国民の意思を問うプロセスである。したがって今回の解釈変更が憲法改正に匹敵するものであれば、与党内や国会だけの議論に終わらせず、国民の意思を問うプロセスをも考えるべきではないか。
私が先月の自民党の会合で「衆議院の解散・総選挙によって、国民に信を問うことも選択肢の一つだ」と述べたのは、このような理由からだ。ただし総選挙というのはワン・イッシューではなく、数多くの公約やマニフェストにより争われるものであり、国民投票と同一視するのは正確でない。また解散・総選挙による空白が、回復しつつある景気の足を引っ張りかねないことや、それこそ我が国の安全保障を手薄にすることがあったとしたら、私の本意ではない。ならばせめて「国民に信を問う」ほどの覚悟と、国民への懸命な説明が、政府と与党議員に求められなければなるまい。
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