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2014-11-09 11:52
「尖閣、異なる見解」 日中合意文書が生む危うさ
山田 禎介
国際問題ジャーナリスト
安倍首相と習近平主席との初の首脳会談の前提とはいえ、これに先立って日中両政府が発表した4項目の合意文書にある尖閣諸島の扱い「尖閣、異なる見解」について、「とうとうここまで中国に踏み込まれたか」、という感がぬぐい切れない。筆者は2012年8月、 本欄に「メディアが中国最高指導者に日本で尖閣問題を語らせたこと」という表題で、日本メディアのヤブを突くような失敗行為を指摘した。これに併せ今回、「尖閣、異なる見解」文書を呑んだ日本政府について、中国にさらに踏み込まれる外交素地を与えたのでは、と懸念する。
今回も、日本メディアに「異なる見解」文言を批判する雰囲気はないが、1978年の鄧小平副首相(当時)来日会見の日本記者団もまた、ナイーブだった。代表が「われわれは尖閣列島(当時の表現)を日本固有の領土という立場、(中略)この問題をどうお考えになるか」と質問。鄧小平は、「双方に食い違った見方がある。中日国交正常化、中日平和友好条約交渉でも『この問題に触れないことで一致した』。中国人の知恵からもこういう方法しか考え出せない」とニッコリ笑った。かつて筆者は米中国交回復に至る米中央情報局(CIA)/ランド研究所の報告書『Chinese Negotiations』(邦題『中国人の交渉術』、文藝春秋刊)翻訳に参画したが、伝統的な中国の交渉術では「どうぞ皆さん尖閣問題を質問してください」とささやくのだ。この鄧小平の会見以降、「尖閣棚上げ」が、日本メディアの紙面、映像で踊ることになる。
だが、「触れないことで一致した」とは、鄧小平の単独発言。また「触れない」と「棚上げ」には消極、積極の差がある。(積極的な)「棚上げ」を白日の下にさらし、文字化した日本メディアは軽率というしかない。ところが2010年当時の民主政権は「鄧小平氏の言う(そのような)約束は存在しない」と否定した。さらに民主政権は72年に周恩来が田中角栄に「尖閣問題については、今回は話したくない。石油が出なければ、台湾も米国も問題にしない」と表明したことも明らかにした。1971年ごろから突如中国、台湾が領有権の主張を本格化したのは周知の事実だ。ところで先日偶然、TBSテレビで、映画「日本海大海戦」(1969年度作品)が、放映された。そのなかに注目する「尖閣丸という漁師の小舟」が帝政ロシアのバルチック艦隊を発見する一シーンがある。いまの政治情勢では貴重なワンショットだが、この「尖閣丸」表現こそ、日本の尖閣実効支配の時系列が現れているものではないか。
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