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2015-05-12 11:20
プーチン・ロシアはどこへ行くのか
伊藤 憲一
日本国際フォーラム理事長
さる5月9日にロシアはモスクワで対ドイツ戦勝70周年を記念する式典を開いた。対ドイツ戦争はロシアでは大祖国戦争と呼ばれ、5月9日の戦勝記念日はソ連時代から毎年最も重要な祝日とされてきた。それが、今年はソ連崩壊後最大規模の軍事パレードとなり、「70年前のナチズムや日本軍国主義に対する勝利が世界をファシズムの支配から救った」として、それが「民主主義」の勝利であることも強調されたが、いざ祝典の当日となってみると、主要国首脳でモスクワにかけつけたのは、中国の習近平国家主席だけであった。
このことは何を意味しているのであろうか。言葉で歴史を語るとき、そこには必ず話者の主観が入るということである。バルト3国を含む東欧諸国にとって第二次世界大戦は決して「解放」戦争などではなかった。抑圧する者がナチス・ドイツから共産主義ソ連に代わったというだけのことであった。1956年にはソ連軍がハンガリーに、1968年にはソ連・東欧5カ国軍がチェコに侵入して、対ソ離反の動きを見せていた両国の政権を鎮圧した。だから1989年のベルリンの壁の崩壊につづいて、1991年にソ連が解体されたとき、世界はこれを「ヤルタからマルタへ」の世界秩序の転換であるとして、歓迎したのであった。東欧諸国は初めて真の自由と独立を手にしたかに見えたのである。
ゴルバチョフからエリツィンにいたる時代のロシアは「ヤルタからマルタへ」の世界秩序の転換に異を唱えることはなかったが、ソ連崩壊を「20世紀最大の地政学的悲劇」と捉えるプーチンが大統領になってからのロシアは、ゴルバチョフやエリツィンのロシアとは別の道を選ぶようになった。私の見るところ、プーチンは共産主義者ではない。共産主義に対して幻想は抱いていないようである。だが、権力政治家として人心収攬の天才であるプーチンは、リューリック王朝、ロマノフ王朝に遡るロシア人の民族的欲求としての領土拡大欲を熟知している。それを自分の権力獲得に活用することを躊躇しない人物なのである。
私は、日本国際フォーラムの理事長として1996年12月にチェチェン共和国(当時チェチェンはロシアとハサビュルト休戦協定を結び、準独立国の地位をもっていた)からホザメド・ヌハーエフ第一副首相を団長とする使節団を日本に招いたことがあるが、そのときヌハーエフ団長から平和と自立を求めるチェチェンの人々の痛切な願いを聴いた。しかし、プーチンが大統領になると、プーチンはチェチェン人を「テロリスト」に仕立て上げて、たちまち第二次チェチェン戦争の口実を見つけることを躊躇しなかった。
当時、私は「プーチンはチェチェンだけで満足することはなく、このまま放置すれば、必ずその触手を他の隣接諸国にも伸ばすであろう」と予言したが、2008年のグルジア戦争、2014年のクリミア編入はこの予言が的中したことを示すものであった。プーチンはさらにウクライナ東部にも介入しようとしているが、このようなプーチン・ロシアの「力による現状変更」こそは、第二次世界大戦で世界の「民主主義」が敵とみなしたファシズムの常套手段だったのであって、かつて第二次世界大戦を戦った主要国の首脳たちがこのようなロシアの対ドイツ戦勝70周年記念式典に欠席したのは、あまりにも当然のことであった。それにしても、そのような場に中国の習近平国家主席が席を連ねたことは、果たして中国のためによかったのであろうか。私は疑問に思う。
註:本稿は、伊藤憲一個人の見解であって、日本国際フォーラムの見解を代表するものではない。
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