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2015-05-13 06:43
安保法制早期成立は歴史の王道
杉浦 正章
政治評論家
賽(さい)は投げられ首相・安倍晋三はルビコンを渡ろうとしている。1960年に祖父・岸信介が安保条約を改定して以来の与野党激突法案が俎上(そじょう)に上る。55年を経てみれば、岸が政治生命をかけた安保改定は日本の社会主義化を目指す勢力と自由主義を目指す勢力との最後の激突であったが、以後、日本が繁栄を謳歌(おうか)し、極東における戦争抑止に成功していることは、自民党政権の選択が正しかったことの左証となった。今回も野党は安保関連法案について「戦後最大の法案だ」(民主党幹事長・枝野幸男)と位置づけて、激突も辞さぬ構えだ。しかし、世論は割れ、安保改定と異なり民主党が笛を吹いても踊る労組や学生運動はない。政府・与党が油断せず、慎重審議を重ねることによって今国会成立は十分可能となるだろう。
60年安保の時と表面的な構図は似ている。当時社会党は「他国の戦争に巻き込まれる国になる」と主張したが、現在の民主党も同様の主張だ。岸は60年1月にアイゼンハワーとの間で新安保条約に調印、安倍は4月の訪米で今夏の安保法制実現を明言した。60年安保は5月になってから全学連の動きが急進化、同月19日の自民党による新安保条約の強行採決はこれに火をつけ岸退陣要求デモと変質した。新聞は朝日を先頭に在京全紙が猛反対で、朝日は、安保改定反対、岸内閣退陣の論陣を張って学生運動を煽った。ところが、6月15日に安保反対デモ隊と警官隊の衝突で東大女子学生・樺美智子が死亡すると、一転した。朝日はそれまでしゃにむに反対の論陣を張っていた論説主幹の笠信太郎らが主導して「暴力を排し議会主義を守れ」という在京新聞7社の共同宣言を発するに至ったのだ。樺の死と、安保条約自然成立、岸退陣、池田政権発足で安保騒動は終焉した。
安倍は14日に安保法制を閣議決定して国会に提出、国会は本格論戦に入るが、現在の野党には国会の内外を呼応させて学生や労組を総動員して反対運動を展開する力はない。安保改定以来55年を経て、国際化の波が押し寄せ、安全保障に関しても一国平和主義がなり立つとする浮き世離れした概念が多くの国民の間で薄れた。野党は苦し紛れのプロパガンダで安保法制を「日本が戦争する国になる」「他国の戦争に巻き込まれる国になる」と主張している。しかし尖閣問題一つをとっても、構図は「日本の戦争にアメリカが巻き込まれる」のがことの本質である。4月に決まった日米ガイドラインは、対中抑止を最大の狙いにしているが、この流れがなければ中国は漁民に扮装した武装勢力をとっくに尖閣諸島に送り込んでいたかも知れない。グレーゾーン事態を招いて既成事実を定着させるのが、最近の他国侵略の手法であるからだ。そもそも安保法制反対派は中国が米軍事力に追いつけ追い超せとばかりに軍事費を増大させ、東・南シナ海に進出し、北朝鮮が核とミサイルを実用段階にまで発展させ、最近では潜水艦からのミサイル発射まで可能となっていることは、無視していてよいのか。今そこにある脅威を無視して、日本が国連憲章が認める世界の常識である集団的自衛権の行使、それも「限定的行使」を容認するという極めて控えめな転換をするのが、それほど「危うい」(朝日社説)のだろうか。
改めて安保法制の重要ポイントを指摘すれば、日本の存立が脅かされる事態において(1)集団的自衛権を限定的に容認する(2)外国軍隊の後方支援を質的にも地理的にも拡大するの2点に尽きる。その安保法制を概観しても、何処にも日本が他国に対して攻撃的な軍事行動をとる構図にはなっていない。むしろホルムズ海峡における機雷除去にせよ、同盟国へのミサイル阻止にせよ、グレーゾーン対処にせよ、全て「受け身」の対応が根本にある。それすらも否定する勢力やマスコミは、天から平和が降って湧くという、戦後の一国平和主義の思想にいまだに染まっているとしか思えない。中国や北朝鮮が隣国にいるからと言って引っ越すわけにはいかないのだ。必要最小限の武力行使まで放棄すれば、中国や北朝鮮が尊敬してくれるとでも思っているのだろうか。野党は、安倍が国会に法案を提出する前に米国で今夏の成立を表明したことを本末転倒として、審議拒否のとっかかりにしようとしているが、自民党は昨年末の総選挙の公約に掲げて、圧勝したのである。また安倍は訪米以前から通常国会での安保法制実現をたびたび公言しており、指摘は成り立たない。早期に審議入りして、法制の問題点を質すのが野党の在り方であるはずだ。民主党が審議拒否なら、参加する政党だけで、審議を進めればよいことだ。
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