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2016-04-21 06:08
「ダブル選挙なし」のスクープの裏側
杉浦 正章
政治評論家
政治状況をいち早く掌握、洞察して伝えることは政治報道の基本だが、今回筆者が先陣を切った政局原稿「会期末解散・同日選挙は事実上不可能に、熊本地震で政治日程もがらりと変動」は、乾坤一擲(けんこんいってき)の大勝負であった。100%自前の「1人通信社」でも、解散の判断で間違っては、政治報道の真価が問われるからだ。筆者の場合官邸にも政党にも情報源はあるが、ほとんど必要ない。表面化した情報を一日がかりで集めて、分析して、洞察して、払暁までに1人で判断して書いた。筆者の判断は、全国紙が後追いして正しさが立証されるのが常だが、今回も本格的な政局原稿としては、産経が4月20日朝刊トップで「首相、同日選見送りへ」、日経が21日朝刊で「首相、衆参同日選見送り 震災復旧・景気テコ入れ優先」と報じた。通信社も、共同が20日午後1時に「政府、与党内で同日選見送り論」と追いかけ、時事も午後10時過ぎ「衆参同日選、見送りで調整」と書いた。朝日は抜かれて恥ずかしいのか、4面で「同日選慎重論に傾く」だった。読売も4面で「同日選与党から回避論」と書きながら、「首相サイドは両にらみ」と未練たらたらの記事。
これまで、筆者もマスコミ各社も「ダブル選挙あり」を前提に政局原稿を組み立ててきた。首相官邸からの発信が常にダブルに向かっているように見えたからだ。新年早々に首相・安倍晋三も夏の参院選について、自民、公明両党だけでなく、おおさか維新の会など一部野党も含めた改憲勢力で、憲法改正の国会発議に必要な参院の3分の2議席を目指す、との考えを示している。これが意味することは通常の参院単独選挙でなく、ダブル選挙を狙っている事を意味する。選挙情勢を分析すれば参院単独では達成が不可能な議席であり、衆院の3分の2を維持したうえで参院の3分の2を確保するには、相乗効果が可能となるダブル選挙しかあり得ないからだ。とりわけ2月25日に筆者だけが発信した安倍の「世界経済の大幅な収縮」発言を「消費増税先送りへの新条件」ととらえ、解散に結びつけた見方は、全紙が2日遅れで追いかけて政界に定着した。
こうしてダブル選挙への流れはよほどの天変地異でも生じない限り不可避と見られる状況に到った。ところが、熊本大震災である。天変地異が発生してしまったのである。こればかりは天の裁量としか思えない事態である。筆者は10万人が避難生活という事態を前にして、まずダブルは不可能になったと直感した。東日本大震災の時は被災地での統一地方選挙ですら延期となった。それに塗炭の苦しみに国民が置かれているのに、党利党略の権化のようなダブル選挙を実施する為政者はまずいない、と判断した。しかし、滔滔(とうとう)として続くダブルへの流れは止められるだろうかとも思った。その時、かつて田中角栄から教わった重要なる教訓を思い出した。「政治のすべては一般庶民のためにある。杉浦君も国民目線で政局を判断しなさい」と述べた言葉だ。
そうだこれだと思って書いたのが「震災後1か月半で国会を解散するのは憲政の常道から言っても不可能の類いである。震災の粉じんも治まらず、塗炭の苦しみに国民が置かれている状況下で、政権与党の優位のみを目指して解散することは、困難であるうえに、国民の間に怨嗟の声が湧き起こる可能性が大きい」の文章である。これを「同日選不可能」の判断の根幹に据えた。憲政の常道とは政治の常識を意味する。ダブル選挙は「奇道」であり、通常の政治状況なら許されるが、この事態では「お天道様が許さねぇ」の事態となるのである。こうして潮流に真逆に棹(さお)さす1人通信社の大スクープが誕生したのだ。「ダブル」でも先行、「ダブルなし」でも先行したのだ。1人通信社だから特ダネ賞は出ない。1人悦に入るだけだ。
安倍政権は奇道を選ばずに常道に戻った。会期を参院の任期7月25日まで延長すれば、粉じんも治まりダブルの復活もあり得たが、延長せずが大勢となった。安倍が中曽根康弘の真似をして死んだふりをして会期末に解散することもあり得ない。前から指摘しているとおり、北海道5区の衆院補選の動向など、全く政局を左右する要素にはならない。翻って考えれば、安倍には何と言っても衆院291議席がある。圧倒的多数であり、今後の国政選挙は衆参とも単独選挙が基本となる。安倍は衆院の議席を大切に守って、長期政権を維持する流れとなろう。
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