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2017-02-18 16:27
長寿社会での高齢者の身の処し方
熊谷 直
軍事評論家
ダボス会議の議論をTVで見ていたところ、西暦2000年ごろに生まれた私の孫の日本人世代は100歳以上の長命者が普通になるとのこと。そうなると、今のような年金生活ができるものは85歳以上ということになる。しかし、社会が変わり年金の仕組みそのものが大きく変わると予想されるので、孫たちにはその心得を十分に自覚させておくことが、これから彼らが生きていくために大切なことになるだろう。
世の中が60歳代以下の人によって動かされている現在、80歳になった私の目から見て、60歳の人は自分と同じ世代のように感じられる。こちらがその齢から進歩せず、心身ともに退歩しているからだろう。特に相手が女性の場合は、自分の娘の世代のものさえ、女性として見るようになってくる。さすがに孫の世代に対しては、そのような感情をもつことはあまりないが、もし妻が亡くなり他の女性との付き合いをするときは、30歳代から60歳代までと選択の幅が広くなるだろう。
高齢化時代のこれからの世の中は、心身ともにこれまでの尺度でものを考えてはならない。ただし、人によって高齢化の度合いに違いがあるので、そのことへの配慮が必要だろう。私の場合は、陸軍将校であった父が亡くなった戦後の耐乏生活のなかで、常に栄養失調気味であり、アルバイトに追われて学業の上でも思い通りにいかない時期が多かった。しかし、両親が揃い、東京で比較的恵まれた生活環境に置かれていた防衛大学生のクラスメートを見て、彼らが健康と学力で自分よりも恵まれていたので、その後の自衛官生活でも得をしたのではないかと思う機会が多かった。単なる運とは違う。このような個別の事情を含む対策が必要なのではないかと思っている。私の場合は、このような事情を自覚して、勤務先の希望にもそれなりの配慮を自分でしていたのである。酒もたばこも呑んでいない。定年退官後に軍事評論家としてサリン事件や湾岸戦争などについてTVに顔を出すようになってからも、体調がよくないときは出演を断っていた。
西郷隆盛は「命もいらぬ名もいらぬ人は、始末に困るものなり」といって、名利を度外視していたというが、名利だけを追い求める人が多い風潮は好ましくない。自分の心身に気を配り、部下や仲間にも気を配って、長寿社会を生き抜いていくのが、60歳まではもちろん、その後の高齢者としてのあるべき身の処し方ではあるまいか。
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