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2017-10-05 21:45
我が国における「リベラル」とは何なのか
篠田 英朗
東京外国語大学大学院教授
希望の党の小池百合子党首が、民進党の「リベラル」勢力を「排除する」と述べたとされることが、話題を呼んでいる。しかしよく見てみると、小池党首は、「リベラルを排除する」と発言したわけではなく、民進党の立候補予定者を全員公認するわけではなく選別したい、と述べようだ。また、「憲法・安全保障観の一致が大事だ」という方針で選別を行う、とも述べている。したがって排除されるのは、「リベラル派」というよりも、「改憲反対派」「安保法制反対派」のことである。あるいは「旧左翼」あるいは「冷戦時代ノスタルジア派」が排除される、ということではないか。日本では冷戦終焉後、保守vs革新、という言い方が、時代遅れになった。「革新」政党と呼ばれた社会党が没落したため、「保守vsリベラル」という、アメリカの共和党と民主党の対立軸の丸ごと輸入の言い方が導入されることになった。しかし全く内実の伴わない「横文字を縦にする」かのような輸入ものの表現であった。そのため、何が「リベラル」なのかは、全く不問にされた。現状は、ただかつての「保守vs革新」が「保守vsリベラル」と呼び換えられただけの状況だ。
確かに、もともと民主党は、結党時に、アメリカの民主党を意識して、現実主義的な中道路線を目指す、という意思を持っていたのだろう。ただし民主党が象徴するマイノリティに寛容な「Liberal」な価値観を民主党が熱心に語ってきたのかどうかは怪しい。そもそも「Liberal」という言葉も、アメリカ社会において初めて意味を持つ言葉だろう。アメリカではビル・クリントン大統領の時代に、新自由主義革命後に、財政再建を果たして経済成長を達成する民主党路線のモデルを作り上げ、「Liberal」派の復活を果たした。日本の民主党政権には、そのような政策的方向性が全くなかった。結局、民主党の勢力は、野に下りながらも政権担当時の混乱を総括できないまま、2015年安保法制の頃には、「憲法9条改悪阻止」を唱える伝統的な「護憲派」、つまり革新政党に集った左翼勢力でしかない地点にまで撤退してしまった。マスコミがそれを「リベラル」と呼び続けたが、実態は、「冷戦時代からの護憲派」勢力のことであった。
2015年の安保法制の喧噪も大きかっただろう。私に言わせれば、ある特定の政治運動に加担している特定の憲法学者の学説を、あたかも絶対的真理であるかのように振りかざして政策論を進めようとしたことが、失敗の原因だった。「迷ったら芦部説を選んでおけ、と公務員試験/司法試験のときに予備校の先生に教わった」といった態度で政治家が政策論を行えば、袋小路に入り込むことは当然であった。「絶対に9条を変えるな!」「安保法制は許さない!」などと叫ぶと、なぜ「リベラル」つまり「自由主義的」だったり、「価値観において寛容」だということになるのか、全く不明である。しかも標榜する価値観が「アベ政治を許さない」くらいしかないので、盲目的にアメリカの政治文化の輸入でカタカナ言葉を使うくらいしか、自分たちの立場を表現する手段を持っていない。
こうした全く中身の伴わない政治言語は、普通の人々の政治の理解を阻害する。まずはいい加減な言葉の使い方を、政治から排除するべきではないだろうか。最近では、再び「民主党」を作るという動きが一部にある。「新・民主党」では、なぜ「冷戦時代からの改憲反対派勢力」が「リベラル派」などという妙なカタカナ英語で表現されることになったのかを説明してもらいたい。日本の政治文化において「リベラル」とは「アベ倍政治を許さない」以外に何かあるのか、などの基礎的なことを、わかりやすく論理的に説明していくところから始めてもらいたい。
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