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2017-11-18 14:29
日本国際フォーラム設立30周年記念シンポジウムを傍聴して
河村 洋
外交評論家
去る11月1日(水)に公益財団法人日本国際フォーラム主催の設立30周年記念シンポジウム「パワー・トランジション時代の日本の総合外交戦略」に参加させていただいた。同シンポジウムは、これまでのシンポジウムとは全く質の異なる議論が展開され、非常に驚かされた。それは日本人の論客が日本語を用いて、主に日本人の聴衆を相手に講演と議論を行なう形式で、日本の外交政策関係者が抱える本音と焦燥感が赤裸々に表れていた。従来の外国人の論客を招き、英語を用いて行うシンポジウム等であれば、ここまで「日本人の本音」を語ることには遠慮が働いたであろう。このような長所が見られた一方で、講演内容や質疑応答が中国に関するものに集中し過ぎていたように感じた。また、中東など世界史的にも重要な地域についてもあまり関心が寄せられていなかったように思えた。僭越ながら、個人的な感想を申し上げると、国際社会におけるパワー・トランジションを冷静に議論するのであれば、外国人も交えた議論の方がよりバランスのとれた将来像を模索できたのではないだろうか。
今回のシンポジウムの根底となる前提は「米国の衰退」であるが、これは米国内ではどれだけ懸念されているのだろうか?日本の有識者がどれほどこれに懸念を抱いても、米国側でそれほど憂慮されなければ、ただ認識の違いが存在するだけで両者の有意義な対話を行なうことはできない。また、日米で米国衰退論に対する認識の違いを調べようにも、両国で出されている膨大な論文を当たって統計をとることは極めて困難な作業である。ただ、米国民が「衰退論」なるものにどれほど関心があるのかと言えば、ドナルド・トランプ氏が共和党予備選からの異様な旋風によって大統領に当選したことを考えると、多くの国民にとってはそのような議論は無縁のように感じてならない。たとえ彼がヒラリー・クリントン氏より総得票で300万票近く少ないからと言って、クリントン氏に投票した有権者が国際社会での米国の地位を意識していたというわけではない。多くは従来から自分が投票してきた党への忠誠心に従って、先の選挙にも票を投じただけであろう。これに対して超党派で国際介入主義を主張する知識人達はどうであろうか?彼らはオバマ政権のポスト米国外交を弱腰と批判し、トランプ政権の「米国第一」に基づく孤立主義を非難している。しかし彼らの間で米国の国力そのものの「衰退」を問題視する傾向は弱いように見受けられる。たとえ「米国衰退論」が正しいとしても、その程度について日米間で認識の差を縮める必要があるだろう。むしろ米国に関して言えば、国力の「衰退」よりも懸念されるのが「自由と民主主義」への信念の揺らぎである。これは内政においても外交においても問題である。オルタナ右翼の思想的影響が強いトランプ政権の誕生を機に国内では白人至上主義が台頭し、民族的マイノリティ、イスラム教徒、ユダヤ教徒などへの排斥気運が高まった。このことで米国のソフトパワーを低下させている。その一方で、外交ではトランプ政権はヨーロッパの民主国家とは摩擦を抱えながら、この度のアジア歴訪では「アジアの価値観」に基づく強権政治の国々とはきわめて親和性が高いことが判明した。これは国内での人種差別傾向とは矛盾しているが、自由と民主主義という価値観の軽視というトランプ政権の方針とは一致している。これは米国の国際的地位を本気で心配する者にとっては見過ごせない問題なのだが、トランプ大統領支持者の中の多くのものにとっては取るに足らぬことなのである。
このように国際政治においてヘゲモニーの信頼性の低下が感じられるようになると、普遍的価値観より自国や自民族の宗教や文化に対する自己主張が強まるようになる。ロシアのネオ・ユーラシア主義や中国の東アジアでの諸行動は、こうしたヘゲモニーへの挑戦を代表するものである。そうした宗教および文化の対立では、やはり西欧とイスラムの対立が中世以来の世界史で中心的な位置付けであったことを忘れてはならない。今後の世界のパワー・トランジションを考えるうえで、中東は非常に重要なテーマといえる。中東地域に中央アジアを含めたイスラム圏という観点で世界を眺めると別の問題が浮かび上がって来る。それは「中国とイスラム」という対立構造である。現在、中国は「一帯一路」構想を打ち出しているが、本気でこの構想を推し進めるならユーラシア大陸横断でのイスラムとの摩擦は避けられない。それは中国がアフリカで引き起こしている摩擦よりも、はるかに深刻なものになるであろう。中国が「一帯一路」の安全確保のために中央アジアおよび中東地域に出兵した場合に、国際社会の理解と協力が得られるだろうか?そもそも中国は新疆ウイグルおよびチベットでの人権抑圧で悪評を博している。またニジェールからアフガニスタンにおよぶ西側諸国のテロとの戦いでも、米英仏など軍事大国は派兵に積極的だがヨーロッパの軍事小国は消極的である。こうした観点からも、中国の「一帯一路」の安全確保に協力する国がどれだけあるか疑問である。中国を重視するなら、イスラム圏との摩擦は深く議論されるべきだろう。宗教および文化の問題はEUとロシアの関係でも見られる。ロシアはEUの分断と弱体化のためにブレグジットやカタルーニャ独立運動を支援したと見られているが、東欧地域でのEU切り崩しが最も顕著である。これにはポスト冷戦期の西側勢力拡大への地政学的な巻き返しもあるが、プーチン政権は西欧のカトリックおよびプロテスタント文化圏に対して東方正教会とスラブ民族の共通の文化的価値観を掲げて旧ソ連および東欧諸国での巻き返しをはかっている。実際にプーチン政権になってから、クレムリンはロシア正教会に急接近している。1054年の大シスマによるローマ教会とビザンチン教会の分離は東西ヨーロッパの分裂をもたらし、これによって西欧対イスラムの他にも宗教および文化の対立軸が出来上がって今日に至っている。そうして見ると、EUの統一性に宗教および文化的側面が与える影響はブレグジット以上に見過ごせない。また、ヘゲモニーの信頼性低下は世界各地でも見られるマイクロナショナリズムやポピュリズムにもつながっていると言えよう。
最後に新興国の経済的台頭については、中国とインドに加えてインドネシア、ナイジェリアなどが2050年には現在の主要先進国のGDPを追い越すとの予測が取り上げられた。しかしながら、これらの国々はいずれもGDPが大きくなるのは巨大な人口によるものであって、一人当たりでは先進国には及ばないだろう。そして人口が巨大であるがゆえに自国の経済発展の恩恵にあずかれない国民が膨大なものになり、貧富の格差は甚大になるだろう。とてもではないが、これらの国々が北欧諸国のように全ての国民に豊かな生活と教育が行き届くような社会にはならない。このような「貧しき経済大国」という相矛盾する事態にある新興国が、果たして国際社会でどのような役割を担うべきだろうか?高度経済成長期からバブル期にかけての日本は、欧米諸国から経済大国に相応しい役割を果たすようにしばしば要求されてきた。だが同じような要求を新興諸国にできるとは思えない。また歴史的には日本は欧米と同様に植民地帝国の側であったが、新興諸国は植民地支配を受けた側である。そうした立場の相違を考慮すれば、我々先進諸国が彼らに国際的な役割拡大の要求を無理に突きつけると大きな対立の火種になりかねない。今回のテーマの問題点は非常に多様で、これは簡単に語り尽せるものではない。ただ、私はシンポジウムの開催方式については今後様々な検討の余地があるように思えた。その中でも日本人論客だけの討論会か外国人論客も招くかについては、両者を別々で並行的に開催することを提案したい。それぞれに一長一短があるからである。新しい企画を追求するには様々な試行錯誤を重ねる必要がある。関係者各位からも、今後様々な案が出て来ることであろう。今後新しい企画を追求するにあたり、拙論が少しでもお役に立てば幸いである。
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