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2007-05-29 16:56
外交理念としての「自由と繁栄の弧」に問題はないか
岡本幸治
大阪国際大学名誉教授
戦後日本は長らく敗戦後遺症にとりつかれて、与えられた国際環境に従順に適応し、その中でうまく立ち回る事に専念してきた。お陰で経済発展に関する限りは見事な成功を収めたが、自らの外交理念を示しアジアや世界をリードするという畏れ多いことは極力慎んできた。21世紀に入り、ようやくこの受け身の姿勢に変化が生じ始めた。昨年11月に麻生外相が提唱した「自由と繁栄の弧」はその現れであると理解してよいだろう。国力相応の「主張する外交」への転換は当然のことであり、その点は評価したいと思う。
しかし問題がある。第1は、東欧、バルト3国まで対象を広げるのはいかがなものか、という点である。それは欧米に任せておいたらよい。ODAをそんな遠方にまでばらまく前に、日本はまず近くのアジアにおいてなすべき事が山積しているのではないか。当面の対象は、西アジアの親日国トルコまでとすべきである。
第2の一層重要な問題は、理念の中身が「自由、民主、人権、法の支配」など米国型の「近代」理念から一歩も出ていないことである。戦後の日本では「光は西方から来る」「近代西欧の理念のみが進歩的で普遍性を持つ」という教育と啓蒙が行われてきた結果、「バナナ知識人」(肌は黄色、オツムの中身は白)が大量生産され、政・官の指導層も例外ではなくなっている。アジアの日本が「主張する外交」を展開するとき、その中身が近代西欧=米国型理念の丸写しコピーに過ぎず、それに付け加えるものは何もないというのでは、日本は相変わらず「米国の忠実なポチだ」という、アジアに存在している疑念を再確認させるだけに終わらないだろうか。
かつてアジアの深い精神文化を積極的に受け入れ消化し、創造的な展開を行って独自の文明空間を構築してきた日本には、さまざまな問題点を露呈しつつある近代文明を超えて、21世紀世界の指導理念となるものが存在している。ハンチントンが『文明の衝突』において、日本を一国一文明のユニークな国家として承認したのもそのためである。日本の「主張する外交」には、文明開化の欧米追随ではなく、アジアの深い精神文化の遺産を継承し、新たな時代の先駆けとなるに値する中身が必要であると思うが、如何。
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