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2018-05-14 14:50
シリア危機と軍による危機抑制
袴田 茂樹
日本国際フォーラム評議員
トランプ政権は昨年12月と翌月に米国の「国家安全保障戦略」と「国防戦略」を発表した。これらは冷戦期のように中露を最大のライバルとしており、全ては取引次第と見て無戦略とか海図なき航海と言われるトランプ政治像と異なる。中露は当然反発しわが国でも眉を顰(ひそ)めた者も多い。ただ筆者はトランプ大統領の「ツイッター外交」の危うさを強く懸念していたので両戦略の冷静な現実主義にむしろ安心した。露のプーチン大統領の統治を、システムの機能しない個人依存の「手動統治」と言うが、トランプ政治も露以上の手動統治だ。3月には英国で元露諜報員暗殺未遂事件が、4月には露が支援するシリアへの米、英、仏の爆撃事件が生じ、欧米と露の関係は米大統領自身が「冷戦時代を含めても最悪」と言う程になった。露首脳の米国批判も辛辣となり、国連安保理で拒否権合戦も行っている。しかし、この状況の中で露国内に、米国とくに米国防総省の抑制したシリア攻撃を「冷戦時の冷静かつプロフェッショナルな経験の伝統」として「最善の選択だった」と評価する声があることを紹介したい。そして、状況によっては文民よりも軍こそが軍事力の暴走や深刻な戦争を抑える主導力になるということに目を向け、それをどう考えるか問題提起をしたい。わが国では「軍=悪」という非常識が定着し、国防省という名称さえタブーとなっているからだ。
シリア政権の残虐な化学兵器使用疑惑に関し、トランプは4月8-9日にプーチンの責任にも言及し代償を払わせるとして「48時間以内に大きな決断を下す」と述べた。これに対し露は「シリア向け米ミサイルは全て撃墜し、発射地も攻撃する」と応じた。期限の11日にトランプは「ロシアよ準備しろ、高性能のミサイルが飛んで来るぞ」とツイートし緊張が極度に高まった。露の一般メディアは一時、米国軍などがシリア当局の施設だけでなく、シリアにおける露、イランの施設や軍事基地、さらにはクリミアの基地までも攻撃し核戦争に至るという「終末論的予言」までしていた。しかし、トランプが一目置く冷戦期以来の経験豊かなマティス国防長官が、大規模軍事衝突を懸念して攻撃を2回延期させ(BBC)、結局米英仏によるミサイル105発のシリア攻撃は一人の死者もなく露軍も反応せず、形式的あるいは象徴的なもので、「出来レース」とさえ言われた。露の独立系メディアも、公式論と一線を画して次のように報じている。
露軍は米軍から前もって攻撃目標を予告され、露軍はそれをシリアに通告、シリア側は予め人員や物資を標的から移動していた(注、公式的には米国は予告を否定)。また、1年前のシリア攻撃と異なり、公然とシリア・露への制裁が宣伝されていた。実際に3か国による攻撃の標的は露関連施設を意図的に避け、米はプーチンを追い詰めなかった。それゆえ、シリアや地中海などの露軍も、西側のミサイルも戦闘機も艦船も攻撃しなかった。つまり、西側主要諸国は、冷戦時代の経験から受け継いだ冷静な対応をした。米国政治の中で、感情的な政治家たちの破局的な決定を防止する危機制御メカニズムが機能したのである。その制御メカニズムの最重要の位置にいたのは米国の軍人たちだった。こうして終末論的予言は当たらなかった。今回のミサイル攻撃は、化学兵器使用問題をめぐる露米間の緊張を緩和しその問題を解決する最善の行動だった(独立新聞、ノーヴァヤ・ガゼータ)。つまり、人的犠牲は出さず、各国は公約は実行したとしてメンツは保ったという訳だ。しかし露独立メディアの何れも、シリアでは何も解決しておらず事態は一層混乱し、欧米と露の不信と対立はますます強まり、今後も危機制御メカニズムが機能するとか悲劇的事態が阻止されるという保証は全くない、と警告している。かつて反動的と言われた露皇帝アレクサンドル3世(在位1881-94)は「露に友人はいない。同盟国も裏切る。信頼出来るのは露軍のみ」と述べた。プーチンはこの皇帝を称賛して昨年11月に彼の言葉を刻んだ記念碑の像をクリミアに作った。露大統領補佐官のV・スルコフはこの4月、次のように述べた。歴史的に露は欧州の一員にもアジアの一員にもなれなかった。「クリミア併合」後、露はこれからも世界と経済関係や戦争を含め様々な交流を持つだろう。しかし、露は今後百年以上にわたり本質的に孤独である。わが国では、軍と言えば好戦的とか軍国主義と自動的に考える者が少なくない。しかしシリアの危機的事態に対して、米国では文民ではなく軍人の国防総省が危機制御メカニズムとして機能した。そして露国内で公式の対米批判とは別に、そのことが高く評価されている。このことを我々は熟考すべきではなかろうか。
シリア空爆問題にふれたついでに、これと北朝鮮問題との関連について簡単に指摘しておきたい。トランプ大統領がこの時期にあえてシリア攻撃を行ったのは偶然ではない。6月初め頃までに予定されている米朝首脳会談をトランプが念頭に置いていることにほぼ間違いはない。筆者はこのミサイル攻撃は、米朝主脳の「チキンレース」でトランプが勝つための圧力であったと見ている。その理由を説明しよう。北朝鮮の人民戦略軍は2017年8月8日に、米軍事基地のあるグアム島から30-40kmの海域に中距離弾道ミサイル「火星12」を4発発射する計画を発表した(朝鮮中央通信8月9日)。この発表は、ミサイルが通過する日本の地名(島根、広島、高知)まで挙げる具体的なものだった。これに対してトランプ大統領は10日に、「グアムに何かをすれば、誰もかつて見たことがないようなことが北朝鮮で起きるだろう」と最大限の報復措置をとると警告した。すなわち、米軍による北朝鮮への本格的な軍事攻撃である。この後14日に金正恩は、ミサイル発射については「しばらく様子を見る」と述べて、事実上中止した。これは金正恩にとってチキンレースに負けたことを意味する屈辱的な発言だ。
この背景となったのは、1017年4月にトランプが、シリアで化学兵器が使用されたことに怒り、ロシア軍も使っているシリアの空軍基地を59発のトマホーク巡航ミサイルで攻撃したという事実がある。算盤勘定の経済取引にしか関心がないと見られていたトランプが、このような予想外の軍事行動をとったことは、プーチンや習近平だけでなく、金正恩にとっても大ショックであった。グアム近辺にミサイルを発射したなら、トランプは本気で北朝鮮を軍事攻撃すると金正恩は思って、屈辱的な「様子見」宣言をしたのだ。今回も、予定されている米朝首脳会談の直前に、トランプ政権がシリアへの軍事攻撃をしたことは決して偶然ではない、という意味がお分かりだと思う。金正恩が韓国の文在寅大統領と和平ムードを意図的に盛り上げたのも、米国の軍事圧力に対抗するためであった。つまり、文在寅との首脳会談は、金正恩がトランプの軍事圧力を最小化するための絶好の道具として利用されたのである。
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