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2018-11-27 12:40
「ねじれ議会」は悪いことばかりではない
伊藤 洋
山梨大学名誉教授
米国議会の上院では大統領与党の共和党が辛勝したものの、下院では民主党に敗れた結果、米国議会は「ねじれ」となった。「ねじれ」は「決まらない政治」として悪いことのように言われるが、民主政治は決めればよいということではない。決定が熟慮により決定されたのであれば、「ねじれ」も問題ない。まして、ドナルド・トランプ米大統領のような「独裁的」指導者は「ねじれ」によって「配慮」と「忖度」の紳士とならざるを得なくなるだろう。政治に限っては、何でもスピードと効率で測るべきものではない。
日本の国会も2012年12月までは「ねじれ」ていた。しかし、その時の年末選挙で安倍晋三氏率いる自由民主党が勝利したことで「ねじれ」解消に成功した。その結果、(1)特定秘密保護法、(2)安全保障関連法、(3)共謀罪法などに加えて、(4)モリ・カケ疑惑などの不道徳事件が起こってしまった。高度な民主国家へ進化したいと思う正統性からすれば明かに退行政治である。今、この「非ねじれ」の「決められる政治」の続くうちに安倍首相がやっておきたいと考えているのが、(5)改憲という祖父の願望の実現であろう。衆参両院で与野党勢力が「ねじれ」ていれば、これら政策は不可能であっただろう。
「ねじれ」た二院制の成果では野党はどうしても不正で不条理な主張はできない。ますます政権が遠くなるからである。与党の暴走を止めるために野党所属の政治家にとって政治力を付ける格好のチャンスとなる。他方、与党にとってもつねに「正統」な発言に注力しなければならない。野党を刺激して怒らせては政権が動けなくなるからである。つまり、「ねじれ」国会は、政治的ディベートが健全化するのである。「ねじれ」は決まらない政治に陥るというのは、決まらないのではない、決める能力が政治家集団に無いからだ。「ねじれ」状況を繰り返すことによって政治家は成長できる。「ねじれ国会」は二大政党制にあっては政治の質の向上に有益な好環境なのである。来年は「亥年」の選挙年であり、衆参両院の「ねじれ」を大いに期待したい。
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