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2019-02-17 11:32
「菊の文化」と沖縄県民投票
伊藤 洋
山梨大学名誉教授
先の大戦後にこの国のインテリー層の間で一世を風靡したベストセラー本といえば、ルース・ベネディクト著「菊と刀(原題:Chrysanthemum and Sword:: Patterns of Japanese Culture)」であった。「日本人とは何者か?」という、この国の有史以来初めて問われた設問であり、もとより日本人自らがかつて発したことの無い設問でもあったから、その問いそのものがびっくりものでもあった。
ベネディクト女史の結論は、日本社会は「恥」・「恩」・「義理」といった観念を主調とする上下の関係のみで成り立っている社会で、西欧社会のようなキリスト教的善悪に基準を持つ絶対的な「罪の文化」ではなく、他者からの評価を基準とする相対的な「恥の文化」である、という。そして、これは「実に稀有で世界に類を見ない特徴」であると結論づけたのである。この「菊と刀」は、戦後の日本人に大きな影響を与え、また反発もあったという毀誉褒貶の激しい書物でもあったが、いま振り返って見れば、彼女の分析の当否はともかく、あれから70有余年、「菊の文化」から大きく決別したように見えないのも事実である。その証拠の一つが沖縄県で今論じられている辺野古への基地建設の「賛否を問う」県民投票のあり方に典型的にあらわれている。
この「賛否を問う」ということは、この米軍基地の建設受け入れが沖縄県民にとって「正しい選択か?間違った選択か?」と問うということである。よって、当初は「賛成か?反対か?」と問う「条例」を制定した。「正邪」を問題とする「罪の文化」をもって判断すればこの問い方が「正しい」。しかし、この設問に反対というのではなく「県民投票」そのものを反対している5つの都市の市長たちが、その「県民投票」を実施しないと言い出したことから問題が紛糾することとなった。これでは自分の投票権が失われると知った若者がハンガーストライキを決行するに至って折衷案が考えられ、「賛成か?反対か?」に加えて「やむをえない」を入れるという三択案が急浮上した。数の上では三択に違いないが、この「やむをえない」とはつまり消極的とはいえ「容認」、実効的には「賛成」に含まれる。この選択肢は県民投票の事後における建設問題の扱いに何の影響も与え得ないという意味でまさに「菊の文化」そのものである。さすがにこれではやる意味がないと言ったかどうかは知らないが結論は三択の真ん中に「どちらでもない」として「やむをえない」から賛成色を脱色することで落ち着いたという。
しかし、「どちらでもない」もまた「菊の文化」ではないか? 一沖縄県民として(もちろん他府県に棲むヤマトンチューとしてもだが)「米軍辺野古基地建設」についてはゆくゆく「出来るか?出来ないか?」でしかない。「出来たようでもあり出来ないようでもある」状態の「基地」はあり得ない以上この意見表明は何の意味も持たない。それを大騒ぎの後に選んで納まる世論はどうみてもルース・ベネディクト女史のいう「菊の文化」の残滓としか言いようがないではないか。しかし、それにもましてこの「菊の文化」の異様さは、県民投票の如何によらず中央政府は辺野古基地建設は「既定の事実」として、県民投票には無関係に「県民の気持ちに寄り添いつつ工事を粛々と遂行していく所存」だという。かくの如く、今もってニッポンには「菊」が咲き誇っているらしいのである。
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