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2019-11-15 13:29
「身長5フィートの巨人」が逝く
船田 元
衆議院議員
5フィートとは約1m52cmであり、去る10月22日に92歳で亡くなられた緒方貞子さんの身長だった。緒方さんは女性初の国連公使、日本人初めての国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)高等弁務官、国際協力機構(JICA)理事長を務められた。特に高等弁務官の際は、旧ユーゴ崩壊やルワンダにおける民族対立に伴う難民支援、イラクに抑圧されたクルド人難民の救済などに、まさに命を張って駆け回られた。世界各国からは、小柄な日本人女性がとてつもなく大きな仕事を果たしたとして、尊敬を込めて「5フィートの巨人」と称された。
緒方貞子さんとはいくつかの接点があった。緒方さんの曽祖父の犬養毅総理の秘書官を、昭和6年から私の祖父・船田中が務めていた。当時祖父は衆議院議員になったばかりだったが、その頃は国会議員と公務員を兼ねることが出来たようだ。五・一五事件(昭和7年)の日は、たまたま選挙区に戻っていて難を逃れたと聞いている。私が緒方貞子さんに直接お会いしたのは、UNHCR高等弁務官を務められていた平成3年夏だったと記憶する。当時、私は自民党外交部会長として半年前の湾岸戦争の現場を視察したのちジュネーブに立ち寄り、高等弁務官を表敬訪問した。また緒方さんがJICA理事長の時、ODA予算が減額されようとしていたが、わざわざ私の事務所にお出でいただき、予算の重要性を切々と訴えられた。
緒方さんのご活躍を支えていたものは、「人間の安全保障」という理念に基づく強い信念と、徹底した現場主義だったと思う。現場に立って、現場を見た経験が何よりも強いことを、緒方さんはよく理解していたようだ。危険な場所に赴く時は、ヘルメットと防弾チョッキまで着けて乗り込んだと聞く。
緒方さんのご功績には、「女性初の」とか「日本人初の」という形容詞がつきまとうが、私はそういうものも飛び越えて、一人の人間として途轍もないことを成し遂げたとするのが、正しい評価だと思っている。とは言いながら、最近の日本人は海外に出たがらず、務めたくないという傾向を感じ懸念している。緒方さんが切り開いた道を歩む日本人が、どうか後に続いて欲しいと切望している。
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