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2020-07-10 22:40
陸上型イージスに替えての敵基地攻撃能力は欺瞞
伊藤 洋
山梨大学名誉教授
秋田県と山口県に陸上イージスなるロケット基地を設置する計画を、河野防衛大臣が中止したが、ミサイルのブースターが演習場外の民有地に落下するかもしれないという理由で止めるというのはよく分からない。もし本当にこのミサイルを発射する事態が発生したときは「核戦争」の勃発時である。この一大事に味方のブースターが何処に落ちようが、些事であるが、どうも、あくまでロケットブースターが演習場の外に落下する可能性が許せないのだというのである。何はともあれおそろしく高価で妥当性が不透明な計画を止めることに決したことはよしとしよう。
ところが、これを止めた当の内閣から、それも首相の口から「これをやめるなら、敵地攻撃能力を強化すべきである」という発言が飛び出してきた。相手の突いてくる剣から防護するための「盾」を破棄するならその相手を突っつくための「矛」を用意せよ、というのである。通常兵器による攻撃では核攻撃に対抗できないからこそ相互確証破壊という言葉があるにも関わらず、敵基地攻撃能力を引き換えにするのは論理の飛躍ではないか!そもそもイージスシステムとしては陸上イージスを代替し、何処へでも移動可能な海上イージスシステムが海上自衛隊には十分過ぎるほどに勢ぞろいしている。
それより、この「敵基地攻撃能力」の付与という主題、それこそが憲法との間で一大摩擦を来してしまうのではないか。憲法第九条は「1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」とある。ここに「敵基地攻撃能力」の必要性などがいささかなりと跳梁跋扈するスペースがあろうとは思えない。
転んでもただでは起きない安倍晋三氏、どさくさに紛れて憲法が謳う平和主義の死文化をまた一歩進めようという魂胆。北朝鮮はSLBM搭載可能な潜水艦を間もなく配備し、中国は核兵器の近代化に専念中だ。これらに対して敵基地攻撃能力の整備を進めることが、「目には目を、歯には歯を」という政権のやり方のようだが、紛れなき立憲主義からの逸脱である。東京都の人口は1400万人を超える。首都圏に総人口の3分の1を集める日本で核戦争が起きれば、この国は一瞬にして瓦解する。盾と矛をいくら用意しても生き残りは不可能だ。よって、求めるのは敵基地攻撃能力ではない。平和の構造を彼らとの間にどう構築するかしかない。智慧を持つ人を次の指導者に選ぶ秋がついに迫って来た。
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