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2021-02-20 20:48
「森喜朗」らしい終局
伊藤 洋
山梨大学名誉教授
東京五輪・パラリンピック大会組織委員会長の森喜朗氏は、2月3日のJOC臨時評議員会の席上で長広舌をもって、「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」などと発言し、これが国内外で「女性差別」だとする批判にさらされるや、その2日後に「謝罪?会見」を開いたのだが、これが傷口を数等倍に拡げてしまい、国内は言うに及ばず世界中からブーイングの大合唱を呼び起こし、あえなく降板の憂き目を見ることとなった。
以下は、森さんには直接「関係が無い」のだが、それでいて森さんを「主題?」とした、ある特別な記憶が筆者の脳裏には今も鮮明に残っている。ちょうど20年前の今くらいの時期だ。その日薄暮の刻、翌日の早朝虎ノ門で開かれる重要会議に前泊上京のため、駅に向かうに、予期せずタクシーをひろえて予定よりはるかに早く着いたホームは閑散としていた。そこへ予期せず参議院議員のAさんがひょっこり単身でやってきた。彼はグリーン車の停車位置に立ち、筆者はその隣の普通車両の指定券を持って立っていた。間隔3メートル。Aさんとは満更知らない仲ではなかったが、筆者は真っ直ぐ前方を向いて彼は我が視野に入っていないというフリで直立、つまりしらばっくれていたのだが、そこはそれ、選挙年の氏には誰も彼も「票」に見えたのであろう。ニコニコしながらやってきて「やあ、こんちは!今日はどちらへ?」と声をかけてきた。もはやしらっぱくれているわけにもいかず「やあやあ」と会話が始まった。真っ先に彼から「どうだろうね、私は当選しますかね?」と単刀直入に来た。「そうですねぇ、無理でしょうね」と筆者は答えた。この年、参議院通常選挙が夏(7月29日)に予定されていた。氏は、衆院から落選を機に参院に鞍替えして、爾来三期目に挑戦する選挙を控えていた。
その頃、筆者はある民放局の政党支持調査を監修していたので、調査票のつくりから結果の集計、支持動向の分析まで見ていたので自家薬籠中のものだった。氏に対抗する野党の新人候補が、氏に比して若く新鮮であったとはいうものの、その彼の優勢は彼に起因するよりも森現政権の徹底的な不人気に起因していたのである。折りしも与党の有力政治家が、国がすすめる「職人大学」設置に関わる土地取得で汚職が発覚したりという減点もあったのだが、それより何より失言宰相森喜朗の不人気は史上最低の支持率を呈していた。つまり、この参議院議員氏の劣勢は当人の不人気ばかりでなく、政権中枢の不人気の故だった。
彼が「先生、どうすれば良い?」と言うので、即座に「森を降ろしなさい!」 と応えた。そこへ列車が入ってきて二人はグリーン車と普通車に分れ、それで会話は終わった。新宿駅で下車した筆者と東京行きにそのまま乗車の議員氏とはその日再び話すことはなかった。筆者は、それから二日後の朝日新聞を見て驚いた。通常国会再開を前に参院自民党議員総会で○○議員が「森総裁の退陣を強く要求する」と発言して会は大いに紛糾したというベタ記事が社会面に掲載されていた。この○○議員こそ、いまや物故したあの時の「彼」だった。彼のこの「勇気ある功績」を評価した小泉純一郎新首相は、この夏の参議院議員選挙の遊説第一日を「彼」の応援に費やし、怒涛のような小泉人気に乗った「彼」がぶっちぎりで当選したのは敢えて書くまでもないだろう。筆者のあの冬の時点での予想は見事に誤っていた。もちろん開票速報スタジオでの「彼」の当確予想はしっかり解説しておいたのは言うまでもない。森喜朗さんは何処までも何時までもお騒がせな人である。
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