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2021-03-30 17:32
電波行政とクロスオーナーシップ
伊藤 洋
山梨大学名誉教授
昔から大病院の門前には大きな花屋さんが有った。食事制限のある入院患者には食べ物は禁忌であり、また、外出が禁じられてもいるので衣類も不要。心の折れそうなクランケを慰めるには花こそ最適。その美しさと香りは殺伐たる医療とは対極の位置にある。ところが、花粉症対策や枯れた花束の廃棄物処理などから、近年は病院が花の持ち込みを歓迎しなくなって、花屋と病院は必ずしも良いばかりの関係ではなくなっているようだ。花屋ですら相性がうまくいかないのであれば、ましてや葬儀屋などは論外だ。病院の門前に冠婚葬祭屋が立地していたら院長としてはこれを排除したくなるだろう。が、それでいて内実はこの両者、現実には結構相性が好い筈である。特に難病を扱う先端医療病院などでは死亡率も高い筈で十分に需要があるはずだからである。しかし、それでいて病院経営者と葬儀社の経営を同一の者が行っているとしたらどうであろう?患者にとってあまりうれしい事実ではないだろう。
食事の食べ合わせのように、同一人や同一組織が合わせて行う二つ以上の事業の関係において不向きな関係性というものがある。こういう中で新聞と放送メディアの同一人による経営問題が「クロスオーナーシップ」として先進国では原則禁止というのが一般的である。これは、言論の自由を確保するために、多くの人々がメディア事業に参画できる機会や立場を与えることが必要だと考えられていたからである。しかし、日本ではクロスオーナーシップが堂々とまかり通っている。その結果、大新聞社がTV放送事業に資本参加し、地方紙が経営する地方民放TVに番組を配信して、系列化という上下関係を形成してこれを支配するという構造が出来上がっていった。
日本では、放送事業に必須な媒体たる電波につき、先進国では流行らない「国家管理」としている。ために権力監視を役割とし、政治権力から距離を置くべき新聞までもが国家による電波支配の影響下に置かれることとなってしまった。かくて、紙さえ確保できれば国家権力から独立性を保ちやすかった新聞の筆鋒が鈍ってすっかり批判力を失い、健全なジャーナリズムが崩壊してしまった。日本の言論の不健全さはとどのつまりここにある。もっぱら「週刊文春」がひとりジャーナリズムの健筆を発揮しているのみというか細さ、その淵源を尋ねれば、まさにここ国家管理による電波行政と「クロスオーナーシップの侵犯」にあるというのが世人の共通見解である。そして、そういうことを新聞も放送も決して口を閉じて語らない。
「文春砲」が「紙」から「ネット」に進出するという。ジャーナリズムの早達性のためだという。花屋さんと病院の反りが合わなくなってきたような関係にならなければいいのだが。その「ネット」は菅政権が虎視眈々とその支配を画策している。唯一のジャーナリズム「文春砲」すらも前途が不安になる今日この頃である。
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