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2021-11-15 05:38
真の共生社会の実現に向けて:東京2020大会から見えたもの
半田 晴久
世界開発協力機構総裁
8月24日は、東京2020パラリンピックの開会式でした。セレモニーは、一貫したテーマがあり、オリンピックの何倍もよかったです。片翼の小さな飛行機に扮した、車いすの女の子が、風や皆に励まされて飛び立った、というストーリーです。デコトラから出てきた、布袋寅泰(ともやす)のギターも、片足や下半身がないダンサーの、ダンスも素晴らしかったです。彼らに、勇気をもらった飛行機の女の子が、最後に飛び立ったのです。惜しむらくは、最後はプラスチックのような羽をつけてもらい、勇んで飛び立つべきでした。飛行機が片翼のままでは、物理的に飛べないからです。そこが、矛盾していた所です。また、さらに最後の最後には、ワイヤーで吊るし、そのまま宙に飛んで行けば、大歓声で終わったことでしょう。そこが、演出上惜しかったところです。
国際パラリンピック委員会(IPC)パーソンズ会長のスピーチは、国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長のスピーチの10倍よかったです。「スポーツの力」とは何なのかを、明確に話していました。話し方も抑揚があり、気持ちがこもり、ドラマチックな教養あるいい英語でした。さすが、スコットランド系の、元ジャーナリストだけのことはあります。バッハ会長のように、連帯(solidarity)を10回以上も繰り返す、ロジックが展開して行かないスピーチとは、格段の差でした。
また、東京五輪・パラリンピック組織委員会の橋本聖子会長のスピーチは、一ヶ所問題発言がありました。障がい者スポーツに対する、無知と偏見から来る間違いです。それは、「パラスポーツの選手の皆さん、皆さんの優れたパフォーマンスによって、我々を励まして下さい」という箇所です。あの発言は、不適切であり残念でなりません。それは、「障がい者でもこれだけやれるのだ、という所を見せて、我々健常者を励まして下さい」という意味になります。この考え方そのものが、障がい者に対する差別なのです。
障がい者であろうとなかろうと、優れたアスリートのパフォーマンスは、全ての人々に勇気と感動を与え、励ますものです。それを、なぜパラスポーツの選手の皆さんと、特定して言うのか。これは、全くの差別発言です。障がい者の望みは、いつも「特別な存在ではなく、ふつうに扱って欲しい」、というものです。同情やあわれみ、過度な親切やお世話は、うっとうしく、それ自体を差別として感じるものです。むろん、蔑(さげす)みや嫌悪、忌避(きひ)は論外の差別です。事故や病気で、たまたま手足が不自由になっただけのもの。そこを、機具や人々がちょっと手助けすれば、それでいいだけのことです。それ以上考えたり、思うこと自体が差別なのです。障がい者も、そういう軽い感じで手助けして欲しいし、普通に扱って欲しいのです。「不自由ではあっても、不幸ではない。ないものを嘆くより、あるものを生かそう」というのが、障がい者福祉の精神です。
では、橋本聖子会長は、どう言えば良かったのでしょうか。「パラスポーツの選手の皆さん、障がいがあろうとなかろうと、世界レベルでスポーツに取り組む姿勢は、万人を感動させ、勇気づけるものがあります。それが、スポーツの力です。そこが、オリンピックと同じ価値観を共有するものです。皆さんの12日間の熱戦で、スポーツの持つ価値や力を共有し、喜びや感動を共有し、限界に挑むアスリートの、人間としての偉大さを共有したいです。どうか、ベストを尽くして頑張って下さい」と、言うべきでした。少なくとも私なら、そう言っていました。私は、世界盲人ゴルフ協会の会長であり、ISPS(国際スポーツ振興協会)の会長ですから、日本語でも、英語でも、世界のどこででも、これぐらいの事はスラスラ言えます。だから、理解と言葉の足りない日本の政治家や、メディアに対して、いつも歯がゆい思いをしているのです。
いかなる人にも勇気を与え、喜びを与え、楽しみを与え、生きがいを与えるもの、それがスポーツの価値。それが、スポーツの力でもあります。
まさに、この価値観で、盲人ゴルフを33年支援し、障がい者ゴルフも16年ぐらい支援しています。いまや、世界最大の障がい者ゴルフの支援者であり、スポンサーです。
ところで、インビクタスは、イギリスのヘンリー王子と、ミシェル・オバマ大統領夫人が、アフガン戦争や湾岸戦争の、傷痍軍人のために始めた大会です。これも、最初からずっとスポンサーしています。また、ニュージーランドの、最も権威ある障がい者スポーツ大会も、メインでスポンサーしています。
ニュージーランドでは、オリンピック協会とパラリンピック協会に、同額の寄付もしました。すると、パラリンピック協会の女性会長が、号泣していました。オリンピックと、パラリンピックを平等に支援する人は、いないそうです。しかも、一千万円ずつというのは、ニュージーランドのパラリンピック協会始まって以来、最大の寄附だったそうです。それを聞いて、私のほうが驚きました。その程度の規模でやっていたのかと。これは、前回のリオパラリンピックの前の事です。
ちなみに、人類の15%が何らかの障がいを持つ人です。つまり、約12億人です。
そもそも、障がいとは、「個性」と考えるべきです。それが、差別のない考え方です。そして、「平等の精神」とは、同じ目線で楽しみ、同じ目線で生きることです。
盲人ゴルフを始めた33年前、盲人協会の会長で、盲人の職場や、職業訓練所を作った(故)松井新二郎先生が、「障がいは不自由ではあるけれど、不自由は不幸ではない。ないものを嘆くよりも、あるものを生かそう」と言って、盲人や人々を励まし、多くの功績を残したのです。これが、前述した福祉の精神です。
ちなみに、福祉の原点とは、「自己実現のお手伝いをすること」です。自己実現しようと思わない人に、お手伝いをするのは、余計なおせっかいです。逆にお手伝いをしないのは、見殺しであり、無視であり、非人道的であり、無慈悲です。その意味で、「自己実現のお手伝い」こそが、福祉の原点と言えるのです。繰り返しになりますが、同情の目で見たり、奇異の目で見るのは、差別です。過度なお世話や、おせっかいも差別です。障がい者は、「ふつうに扱ってほしい」と願っています。本当の福祉とは、「自己実現のお手伝い」なのです。
ところで、スポーツは、ルールに基づき、上手い人も下手な人も、障がいがある人もない人も、同じように喜びと生きがいをもち、共に楽しむものです。これが、スポーツの価値や力であり、スポーツにおける平等性です。ここが、スポーツの素晴らしいところです。
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