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2022-01-21 19:05
日本のワクチン開発接種事業と安全保障(1)
濱田 寛子
医師
中国武漢に始まった新型コロナウイルス(COVID-19)は、あっという間に全世界に広がり、この2年間で全世界の模様を変えた。我々医療従事者は、時に重症者に医療提供をし、PCR検査陽性者のトリアージに携わり、ワクチン接種に奔走し、時にVaccine Hesitency(ワクチン忌避)に対峙してきた。医療従事者へのいわれなき偏見、差別、提供する医療への無理解による罵詈雑言に苦しむこともあった。
日本においては、ワクチン接種事業は法律によって安全性が担保され、副反応の有害事象、後遺症を呈するものは、予防接種法やPMDA法で救済が行われる。その法整備はほぼ十分に機能していると見受けられる。積極的勧奨の再開が最近決まったHPVワクチンや新型コロナワクチンにおいても有害事象に救済が進められている。一方、ワクチン開発は、新興感染症が世界的に広がった時などには、待ったなしで進めなければならない。世界が平和であれば、これらのワクチンは世界で使用され、感染症制圧へと舵をきってくれると期待する。しかし、平和でなければ、感染症自体が世界の政治的均衡を変えてしまう。日本において、新型コロナウイルス感染症のピーク時は「まさに災害級」であり、「有事」であった。それにもかかわらず、日本にはワクチン開発とその臨床試験が進みにくい脆弱な体制しか整っていない。如何にしてこれを克服するのかが課題であろう。臨床比較試験はまさに感染ピークの時に行わないと被験者が集まらず、実施できない。そういった時に、多国籍にわたって被験者を募り、安全性、有効性、集団免疫効果を測ることができれば、データ集積が容易になるので、同盟のように強固な国際枠組みを構築することで、ワクチン開発体制の強化を政治的に推し進めていって欲しい。
初めての感染症に対して国民がワクチンを忌避するのは無理のないことと思われるが、いかにこれを克服するのか。中国のような共産主義下では有無言わさず接種するのであろうが、民主主義体制ではそうはいかない。けれども、今回経験した新型コロナウイルス感染症では、強く呼びかけることは一定の効果があったと考える。ワクチン忌避はどの国においても一定数存在する。調査によると8-15%と言われ、これは動かない。日本ではアメリカ、イギリス、カナダなどと違い、「周りが接種するのを見てから接種する」人が大半であった。俗に言う、タイタニック難破船でイギリス人は「ジェントルマンなら飛び込みますよ」イタリア人なら「もてる男は飛び込むよ」フランス人なら「飛び込むな」と言えば飛び込むけれど、日本人は「みんなもう飛び込みましたよ」と言えば飛び込むのと同じである。それでもなお忌避し「私はワクチンを打たなくともウイルスにはかからない」と言っている人たちは、集団免疫の恩恵を知らず知らずに受けていることを自覚せねばならない。集団免疫イコール公益なのである。
「ワクチンの必要性」を教育で俯瞰して物事をとらえることのできる人々を増やしていって欲しい。民主主義国家こそが、教育で国家力を向上させることが出来るはずでは、というのは言い過ぎだろうか。エビデンスの集積に真摯に向き合い、何が正しいかを見きわめる政治を期待したいが、ワクチン開発から量産できる体制強化は急務と考える。医療福祉のみならず、安全保障の観点からも。
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