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2023-01-10 09:45
ロシアのウクライナ侵攻:ロシアが民主化するとユーラシアに地政学的衝撃を生む
西村 六善
元外務省欧亜局長
始めに
ウクライナでのロシアの攻撃は停滞するか後退している。ロシアの国営テレビでは政権支持派のエリートたちが「ソ連崩壊以来最大の危機」だと怒りを込めて論じている。プーチン大統領は年末恒例の記者会見を取りやめた。四半世紀近くも続いた強権的なプーチン帝国は危機に直面している。
欧米の政治指導者もロシアが統治不能に陥るのではないかと恐れ始めた。政権の崩壊を予想する議論は既に数多く公然と行われている(1)(2)(3)(4)。プーチン政権はクーデターで倒れるのではなく処理能力を失い、自重で倒れると云う議論もある(5)。「敗北は突然やってくる。広がった不満と分裂は政治危機を引き起こす」とブルッキングスの専門家は警告している(6)。
仮にロシアが民主化すると...
しかし、ポスト・プーチンのロシアはどうなるのか?プーチン氏と同種の独裁者が出現する可能性はある。もう一つあり得ることはロシアが民主化することだ。ロシアのコズイレフ元外相(7)やプーチン氏の暗殺対象者のトップにいる大資産家ホドルコフスキー氏(8)などは公然と民主化を論じている。ロシア民主化運動の中心人物で暗殺未遂後投獄されているアレクセイ・ナワリヌイ氏は獄中からワシントン・ポスト紙に手記を書き、「ロシアは議会制民主主義を実現し、今までの権威主義を止め、問題を生むのではなく、問題を解決する良き隣人になるべきだ」...と論じた(9)。
しかし、ロシアは本当に民主化出来るのか?それなりの理由でそんなことは出来ないという議論は強い。しかし、多くのロシア人の有識者や欧米の専門家は世界的な論壇で民主化は出来ると盛んに論じている(10)(11)。その上、長い歴史と地理をロシア人と共有し、殺戮し合い、ロシアとロシア人を世界の誰よりもよく知っている欧州の隣人たちがロシアは民主化できると論じているのだ(12)。ロシアの民主化は単なる仮説を少しばかり超えた蓋然性があると云えるだろう。
アジア太平洋での地政学上の変化
ロシアは日本の隣国だ。仮にロシアが民主化するとどうなるのか?当然今から議論をしておくべきだ。民主ロシアは民主国家とは軍事的に敵対しない。従ってNATOにはロシアと云う仮想敵国が無くなる訳だ。その結果NATOは何らかの変身を遂げるか解散することになる。そうなると欧州に駐留していた米軍は米国自身にとって戦略上より重要なアジア太平洋に移動できる。日本を含むアジア太平洋地域全体の安全保障にとって非常に重要な地政学上の変化が起きる。
欧州はどうなるのか?
更に、ロシアが民主主義に向かうと西欧からシベリアを超えて北方領土に至るまで民主主義がカバーすることになる(注)。欧州では既に多数の有力指導者、政策研究所などが民主化したロシアと包括的な協力を進める用意をしている。ロシア支援の「新マーシャルプラン」などが準備されている(13)。
(注)本稿では簡略化の為、ロシア国内の多数の共和国の将来については触れない。
その上、欧米側には一種の責任意識がある。ソ連崩壊後、欧米はロシアの民主化に十分な援助の手を差し伸べなかったと云う反省だ。第二次大戦後、米欧はドイツと日本の民主化には相当の資源を投入した。ソ連崩壊の時点では、当時の冷戦意識が強かったので、米欧はそういう支援をロシアには提供しなかったのだ。
欧米ではこの反省に立って、ポスト・プーチンのロシアには全面的な支援をしようとする意識が非常に強まっている(14)。手ぐすねを引いて一斉に支援に乗り出そうとしている。それはロシアとの共存と共栄こそが欧州の将来像だと云う意識があるからだ。ロシアを欧州の一部として抱きかかえていく姿勢。ヨーロッパ人の歴史観はその方向を向いている(15)。
国際政治上の地政学的変化
今日、ロシアと中国は強権独裁政権の連合体だが、ロシアは民主化すると当然この連合体からは離れる。その結果、中国は世界で殆ど唯一の権威主義的な独裁国と云うことになる。中国とロシアの4000キロに及ぶ国境線は俄然性格を変える。中国は用心するようになるだろう。この点も大きな地政学上の新展開だ。
更に、軍事及び軍事技術の面でも衝撃が走る。米国軍事当局者によれば、ロシアと中国は「協力と補完の関係」にあり、両国の協力が生み出すパワーの脅威は単なる「足し算」以上のものがあると言う(16)。ロシアと中国はこの関係を利用して軍事面での技術革新を加速し、米国との軍事力のギャップを埋め、アメリカのグローバルリーダーシップを切り崩し、米国がロシア、中国と交渉せざるを得ない環境を作り出そうと懸命だと米国は見ている(17)。
ロシアが民主化するとこの辺の事態が変わっていく。ロシアは中国と進めてきた軍事・軍事技術の協力を停滞させることになるだろう。その限度でロシアは日本を含め西側自由主義陣営の安全保障に前向きの影響を及ぼす。
同様に重要な地殻変動は国連で起きる。国連の安保理事会で、常任理事国であるロシアが民主主義や人権や法の支配等で西側諸国と同じ価値観で行動することになる。その結果安保理の議論の風景は一変する。ロシアの民主化はインドなどの非同盟諸国にも影響を与える筈だ。国際政治全体の基本構造を動かすことになる。
ロシアは以前から外国の政治に容喙し、敵とみなした政治勢力を妨害し、破壊する為ソフト、ハードの両面で工作をしてきた。近年の米国の内政への干渉工作はその顕著な例だ。民主ロシアはそのような工作はしないだろう。
民主ロシアは開放経済体制へ
経済の面でも地殻変動が起きる。独裁者の恣意に代わって市場が出動し、資源の有効活用と付加価値生産が始まる。ロシア経済への信認が少しずつ強まり、外国からの技術支援や投資が始まり、持続成長を促す。世界有数の資源とエネルギーの生産国であるロシアが民主主義とか透明性とか法の支配や契約の遵守等の原則に基づいて行動し始めれば世界の資源とエネルギー経済の図柄は一変する。世界的カルテルに参加しない場合には国際市場において存在感を持つに至るだろう。今日ロシア産化石燃料を巡って日本や欧州の企業が抱えている問題群の大部分は民主ロシアのもとでは起きないだろう。
ロシアが民主化するなら素早くやるべきだ...
地政学的に見れば急ぐべき理由は明らかだ。2022年10月15日付英国エコノミスト誌は「中国が欲する世界」と云う特集をしている(18)。そこには急速に国力を強大化させている中国が世界的な規模で何を目指しているのかを詳しくかつ明快に論じている。
この特集記事を貫く一つの筋書きは「今や中国は世界秩序を権威主義的なイデオロギーで纏める」と云う方向性だ。このエコノミスト誌の論稿の副題は「中国は他国が作った秩序を改廃する」となっている。要するに、中国は、政府、国際機関、民間企業団体等の行動を通じて、西側がこれまで「普遍的価値」と呼ぶ基本原則の上に築いてきた世界的な自由と民主の体制を後退させようとしている...英国エコノミスト誌はそう論じている。
このような中国の目論見からすると、ロシアがこのまま権威主義的な強権独裁大国であり続ければ中国にとっては非常に好都合だ(19)。「中国が欲する世界」を実現する格好のパートナーだ。その上、化石燃料資源等の供給源としては勿論、更にシベリア資源開発の利権取得の面でも、中央アジア諸国への中国の勢力圏拡大の為にも、強権国家ロシアとの友好と連携は中国の重要な資産となるに違いない。
地政学に新しい波を...
一方、ロシアが民主化に向かえば、国際政治に歴史的な展望を開くことになる。中国が自由や民主、人権などの普遍的価値体系を後退させようとする展望の下では、民主ロシアが生み出すメッセージ性は強い。これを機に西側諸国は政策指向を強めるべきだ。例えば、北米・太平洋・日本・民主ロシア・欧州を包含する「自由と開放性の平和ベルト」と云った新しい地政学概念を生み出せる筈だ。中国の国民にも訴求性があるかもしれない。国際政治に全く新しい波を作る...その為にどう云う手段を講じて行くべきか?西側諸国の官学民を交えた政策議論が殊更重要になる。
西村六善 元外務省欧亜局長
2023年1月6日
【追補】
この論考ではロシアが民主化する場合、欧米や日本などとの西側陣営との関係は新しい地政学的な共同体が出来上がると云う議論をした。しかし、ロシアの民主化が生み出す地政学的衝撃はそれだけにとどまらない。
ロシアの民主化は全てのロシアの共和国の民主化を意味しないことは明らかだ。ロシア軍がウクライナで敗退し、モスクワにおける政権または指導者の交代を求める動きが始まる可能性がある。それは暴力的な展開になる可能性がある。その過程で民主化勢力が勝利を収めたとしても、一部の民族共和国はロシアからの分離を試みるかもしれない。
中央アジアとコーカサス地方でそうだし、ロシア極東でも中国に有利な環境が生まれる可能性がある。モスクワは軍事的敗北、国内の政治的混乱、経済の停滞、継続的な人口減少などが組み合わさって、極端に言えばソ連崩壊時と同じかそれ以上の複合的混乱を生み出す危険がある。名状しがたい混乱がロシアを襲う可能性がある。
しかもその過程でロシア国内の民主化の動きが封殺される危険もある。欧米社会は「ロシアは民主化できる」と強く主張しているが、この歴史的な民主化を達成するには相当英邁で肩幅の広い強力な新しいリーダーと日本を含む欧米社会の強力な支援が不可欠だ。
(1)Russia’s elite begins to ponder a Putinless future
Once unthinkable, the president’s removal can at least be contemplated
Oct 26th 2022
https://www.economist.com/europe/2022/10/26/russias-elite-begins-to-ponder-a-putinless-future
(2) Russia’s Elites Are Starting to Admit the Possibility of Defeat
Tatiana Stanovaya
3.10.2022
https://carnegieendowment.org/politika/88072
(3)What Could Bring Putin Down?
Regime Collapse Is More Likely Than a Coup
Daniel Treisman
Foreign Affairs
November 2, 2022
https://www.foreignaffairs.com/ukraine/what-could-bring-putin-down
(4) Russia’s Road to Economic Ruin
Konstantin Sonin
Foreign Affairs
November 15, 2022
https://www.foreignaffairs.com/russian-federation/russias-road-economic-ruin
(5) What Could Bring Putin Down?
Regime Collapse Is More Likely Than a Coup
Daniel Treisman, Foreign Affairs
November 2, 2022
https://www.foreignaffairs.com/ukraine/what-could-bring-putin-down
(6) Time for the West to think about how to engage with defeated Russia
Baev, Pavel K.
Brookings Institution. Nov. 15, 2022
https://www.brookings.edu/articles/time-for-the-west-to-think-about-how-to-engage-with-defeated-russia/
(7) Why Putin Must Be Defeated Andrei Kozyrev
Journal of Democracy May, 2022
https://www.journalofdemocracy.org/why-putin-must-be-defeated/
(8) Putin’s public enemy No.1
The New European 28 DEC. 2022
https://www.theneweuropean.co.uk/putins-public-enemy-no-1/
(9) Alexei Navalny: This is what a post-Putin Russia should look like
September 30, 2022
https://www.washingtonpost.com/opinions/2022/09/30/alexei-navalny-parliamentary-republic-russia-ukraine/
(10) Global Strategy 2022: Thwarting Kremlin aggression today for constructive relations tomorrow Atlantic Council February 8, 2022
John E. Herbst, Anders Åslund, David J. Kramer, Alexander Vershbow, and Brian Whitmore
https://www.atlanticcouncil.org/content-series/atlantic-council-strategy-paper-series/thwarting-kremlin-aggression-today-for-constructive-relations-tomorrow/
(11)Why the Kremlin Treats Its Own Citizens With Contempt
MAY 12, 2022 CHRISTOPHER BORT,
https://carnegieendowment.org/2022/05/12/why-kremlin-treats-its-own-citizens-with-contempt-pub-87119
(12) MEPs call for new EU strategy to promote democracy in Russia
https://www.europarl.europa.eu/news/en/press-room/20210910IPR11925/meps-call-for-new-eu-strategy-to-promote-democracy-in-russia
(13)“Putin Is Going to Lose His War” And the World Should Prepare for Instability in Russia”
Anders Aslund, Foreign Affairs May 25, 2022
https://www.foreignaffairs.com/articles/ukraine/2022-05-25/putin-going-lose-his-war
(14)「ロシアに民主主義は訪れるのか?」スイスインフォ 2022年7月5日
https://www.swissinfo.ch/jpn/%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%81%AB%E6%B0%91%E4%B8%BB%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E3%81%AF%E8%A8%AA%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%81%8B-/47725652
(15) The EU’s Relations With a Future Democratic Russia
Wilfred Martens Centre for European Studies,
July 2022
https://www.martenscentre.eu/publication/the-eus-relations-with-a-future-democratic-russia-a-strategy/
(16)China and Russia’s Dangerous Convergence
How to Counter an Emerging Partnership
By Andrea Kendall-Taylor and David O. Shullman
Foreign Affairs May 3, 2021
https://www.foreignaffairs.com/articles/china/2021-05-03/china-and-russias-dangerous-convergence
(17) NATIONAL SECURITY STRATEGY OCTOBER 2022
https://www.whitehouse.gov/wp-content/uploads/2022/10/Biden-Harris-Administrations-National-Security-Strategy-10.2022.pdf
(18) The Economist The world divided
SPECIAL REPORT - OCT 15TH 2022
China wants to change, or break, a world order set by others.
https://www.economist.com/special-report/2022/10/10/china-wants-to-change-or-break-a-world-order-set-by-others
(19)China’s New Vassal-How the War in Ukraine Turned Moscow into Beijing’s Junior Partner
Alexander Gavuev Foreign Affairs August 9, 2022
https://www.foreignaffairs.com/china/chinas-new-vassal
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