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2023-05-30 08:36
リアリズムで分析するウクライナ戦争開戦1周年
古村 治彦
愛知大学国際問題研究所客員研究員
「人間は完璧ではない、間違う」ということが国際政治の大前提である。国際関係論という学問分野の一大学派、潮流であるリアリズムはそのように考える。これを前提にして、国際関係、世界政治を分析する。リアリズムを信奉する学者がどのようにウクライナ戦争を分析しているのか。リアリズムの大家スティーヴン・M・ウォルト教授は、まず、関わる各国の指導者たちは「計算間違い(miscalculation)」をしたと分析している。プーティンはウクライナに対して早期に目標を達成できると考えていた。キエフを占領して、ウクライナの体制を変更し、NATO加盟阻止、中立化できると考えていた。しかし、それはうまくいかなかった。それでもウクライナ東部保守という再設定された目標は達成されつつある。一方、西側諸国はウクライナとNATOを玩(もてあそ)び、ロシアを挑発し、刺激し続けた。「これくらいなら大丈夫だろう」という西側の甘い分析評価が今回の事態を招いたということになるだろう。そういう点で、計算間違いが引き起こした悲劇ということになる。
人間は一度思い込んだらそれを変えることは難しい。そして、自制が利かずに過激な主張が幅を利かせることになる。ウクライナ戦争が始まって、私は2月中には「早期停戦」を主張した。しかし、多くの人々は、勇ましい言葉でロシアを非難し、ロシアの体制崩壊までやるんだということを叫び続けた。そうした人々は今でもウクライナをできる限り支援しているのだろうか。口だけでお前ら頑張れと言うのではあまりに無責任だ。
簡単に戦うとか戦争だという人たちこそ「平和ボケ」だと私は考える。本当に真剣に考えていたら、戦争だの戦うだという言葉を簡単に口に出すことはできない。戦場の苛烈さ、過酷さは、リアルな戦争映画なんかで見るよりも、更に厳しいものだということは想像できる。平和な日本にいて、想像力も働かない中で、安易に戦争だという言葉を口にすることこそは平和ボケである。勇ましい言葉が出てくることこそ警戒しなければならない。そのような言葉を口にする人間ほど、最前線には行かないし、自分を危険に晒すことはない。特に政治家でそのような人物は要注意である。
世界政治は人間がやることだから間違いがあっても仕方がないが、間違いによって人々が受けてしまう被害は大きなものとなってしまう。従って、常に慎重にかつ間違ったと思ったらすぐに修正できるように動くべきである。自分たちの理想や価値観だけで暴走してしまうとそのような柔軟な動きはできない。こうしたことは私たち自身の生活にも適用できる教訓だ。
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