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2025-03-27 21:39
国際政経懇話会談話:戦後80年の政治はどうなるか
御厨 貴
東京大学名誉教授
(1)『陽だまりの昭和』の感想
本年は戦後80年、昭和100年という節目の年である。こうした背景のもと「昭和もの」や「戦後もの」の出版が徐々に増えてきている。そうした流れのなかで、川本三郎が新著『陽だまりの昭和』を出版した。まずその所感を述べたい。
本書は全七章構成であるが、各章は相互に独立しており、どの章からでも読み始めることができる。著者である川本三郎は、まさに昭和という時代に深い愛着を持つ人物であり、その視点から描かれる風景には独特の温かみがある。本書が取り上げる対象は、こたつ、ミシン、小刀、鉛筆、映画館、喫茶店、風呂敷、銭湯、紙芝居、オルガン、かき氷など、物や風俗といった昭和の生活文化である。これらの名称を目にするだけで、読者の頭には当時の情景が自然に浮かび上がってくる。いわば「昭和の陽だまり」のようなシーンが、本書には随所に散りばめられている。このような個人の記憶は、現代において共有できる人がごく一握りに限られている。多少の知識がある人々にとっては懐かしさを感じる対象となるが、それをどのように「懐かしむか」という点については、決して単純ではない複雑な問題をはらんでいる。
(2)石破政権
政治の状況もまた、大きく変動を遂げている。昨年は、岸田文雄政権のもとで裏金問題や派閥の問題が政界において大きな騒動となった。これらの問題は全面的に表面化したものの、明快な解決がなされることはなく、結果としてスキャンダルばかりが注目を集めることとなった。そのため、日本の財政問題や今後の国家としての資金配分の在り方については、十分な議論がなされなかった。そのような混乱の中で選挙が実施され、石破茂が新たに内閣総理大臣として登場するに至った。
石破茂とはいかなる人物か。また、その政権はどのような特徴を有しているのか。石破には、従来型の政治家が有するような突出した得意分野や象徴的な強みはほとんど見受けられない。そのため、彼の政治的立ち位置や意味合いについて語ることは容易ではなく、「かかる脆弱な政権が国際社会と対峙できるのか」という疑念が呈されるのも無理はない。とはいえ、石破の「強さ」と「弱さ」は表裏一体である。石破は議論を好み、説明責任を丁寧に果たす姿勢を持つ。過去の首相が質問を煩わしいと感じ、対話を避ける傾向にあったのに対し、石破はその真逆を行く存在である。その語り口も意外に的確で、反論しにくく、野党からの追及もかわしている。
現在、自民党と公明党の連立によって政権は維持されているが、議席数は少数与党にとどまる。現時点では、予算案が衆議院を通過し、参議院での審議を残すのみとなっている。国会の動きを見る限り、当初は立憲民主党との協調が予想されていたが、実際には同党を外し、国民民主党と日本維新の会との協議に軸足を移した。まず国民民主党との連携を試み、これが勢いを失うと維新の会と確実に協力し、予算案の成立を確保するに至った。少数与党ゆえに法案成立が困難とされていたが、石破政権は国会での議論を通じて、新たな政治のあり方を提示した。従来、自民党主導で物事が決まる構造であったが、今回はそうではなかった。特に国民民主党には、自民党の旧来の方法に通じない議員が多く、両党間には進め方のギャップがあったと考えられるが、これを埋め合わせた。
従来の自民党の連立政権は、自民党から分裂した人々との連携が主であり、つまりは「自民党文化」を共有する者たちとの協調であった。しかし、今回のように自民党とは異なる考え方を有する政党と連携を図ったことは、政権運営上の新たな挑戦であり、その点で高く評価されるべきである。今後、海外の情勢に爆発的な変化が起きない限り、参議院選挙まではこの政権が維持されると見込まれる。石破が多様な政党との柔軟な協調によって、少数与党であっても政権運営は可能であることを実証していく過程に入ったといえよう。
(3)派閥の発祥
近代日本政治において、政党内部におけるグルーピング、すなわち「派閥」が明確に形成されるようになったのはいつからか。戦前日本は限定的な議会主義の下にあったが、1920年代から1930年代にかけて、約8年間にわたり政党政治の時代が存在した。この時期には、政友会と民政党という二大保守政党が政権を交代しながら運営を担っていた。当時の政権交代は選挙結果に基づくものではなく、政権内外の問題を理由として前政権が退陣し、次の政権が指名されるという形式であった。すなわち、多数決原理に基づく現代の制度とは異なり、長老や前任の総裁が次の指導者を指名する体制が常態化していた。
こうした制度下でも、政権を握る政党が少数党である場合が多かったため、衆議院を解散し、議席を増やすことで多数派を目指す動きが生じた。その過程において、多くの汚職事件が発生し、政権交代は各地方自治体にとって補助金や事業継続の可否を左右する死活的問題となった。このような背景から、当時の二大政党間の対立はしばしば批判の対象となった。さらに、政党内閣は「勝つためには手段を選ばず」という姿勢を強め、軍部や枢密院、あるいは反政党的な勢力と連携を図るようになる。その結果として発生したのが、1932年の五・一五事件であり、続く二・二六事件によって政党内閣は決定的に崩壊することとなった。
戦後の政治再編においても、戦前の政党構造は一定の影響を与えていた。鳩山一郎は戦前の立憲政友会の流れを汲み、自由党を結成する。他方、旧民政党の一部は進歩党を結成し、のちに民主党へと改組される。このように旧来の系列を引き継ぎながら、吉田茂が中心となって自由党政権が形成された。
ただし、従来の通説である「戦前の派閥がそのまま戦後に引き継がれた」という見方には再考の余地がある。実際、吉田茂を支えたのは側近グループであり、将来の総裁候補を育成し、主導権を握るという意味での現代的な「派閥」とは異なる存在であった。彼らは、いかに吉田を支え、政権運営を補佐するかに主眼を置いた集団であった。当時は、GHQの支配が講和独立まで強く、国会における決定がGHQの命令によって容易に覆される状況であったため、政党側も国会運営に真剣に向き合う意識が希薄であった。しかし、講和独立を経てGHQの統治が終了すると、政党が本格的に国会運営を担う必要が生じた。この新たな状況下で、パージが解除され、追放されていた鳩山一郎が政界に復帰する。鳩山は、もともと吉田に一時的に政権を託したにすぎず、本来は自らが政権を担うべきであると考えていた。吉田に政権返還を要求するも拒否されると、鳩山を総理大臣に押し上げることを目的とする明確な意思を持つ集団が結成された。ここに、戦後型派閥の萌芽が現れる。
(4)政治資金と派閥の結びつき
戦後日本政治において、政治資金問題は派閥と深く結びつくこととなった。その発端は、日本の右翼およびアメリカのCIAが、保守政党に対して資金援助を行ったことである。これは、共産革命の阻止、あるいは社会党による政権獲得の防止という目的に基づいていた。すなわち、「共産党には政権を取らせない」という強い恐怖心が、派閥への資金流入を促したのである。この資金は党そのものではなく、特定の派閥に流れた。ここに、政治資金と派閥の結びつきの原型が形成された。
1955年、日本政治は大きな転機を迎える。当時、社会党は右派と左派に分裂しており、保守側も民主党と自由党という二大政党に分かれていた。保守側からすれば、社会党が再統一し、さらに一部保守勢力と連携することで「革新保守連立」が成立しうるという危機感があった。この危機を回避するため、政友会と民政党の流れをくむ自由党と民主党が合併し、自由民主党が誕生する。当初は「保守二党が一つになることなどありえない」とされ、また自由民主党も10年も続かないと言われたが、結果としてその後も長期政権を維持し続けた。この長期政権を支えたのが、派閥の存在である。特に宏池会は、自覚的に政策を立案し、人材を育成し、政権獲得を目指すという独自の姿勢を示した。池田勇人が率いたこの派閥は、後に佐藤派など多様な派閥へと分岐し、最盛期には8つほどの派閥が併存する状況となった。派閥は自民党を活性化させる原動力となり、財界からの資金も豊富に流れ込んだ。これにより自民党は「キャッチ・オール・パーティー」として、あらゆる層を包摂する国民政党へと変貌を遂げた。
その後も日本経済の成長に伴い、政界への資金流入は続いた。1955年体制下では、政治家が金銭を受け取ることに対して現在ほどの強い社会的反発は存在しなかった。1970年代から80年代にかけて、総理大臣の選出は派閥主導で行われ、候補者を五人ほど用意して順番に首相を出すというシステムが形成された。しかし、短命政権が続き、スキャンダルにより辞任する首相が相次ぐと、元首相が派閥に留まり続け、派閥自体の分裂を防ぐ構造が生まれた。
平成以降の政治においては、派閥の存在意義も揺らぐこととなった。政治改革が先行し、「二大政党制による政権交代可能な体制」が整備されたことで、日本の議会制民主主義は一歩前進したと評価される。一方で、この変化は政治の混乱も招いた。昭和期に見られたような「次の総理候補はこの人物」という暗黙の序列が崩れたことで、派閥の機能と意義にも変化が生じ、派閥に属することのメリットが不明確となった。そのような中、竹下登が自身の派閥から二人続けて後継を輩出しようとしたことが、派閥秩序の崩壊を加速させた。現在の自民党は、かつてのように派閥によって順番に総裁を回すシステムが機能しなくなっており、派閥に所属することのメリットも希薄化している。党全体を新たな形に刷新するためのリーダーシップも不在であり、自民党が制度的に崩壊へ向かっていく可能性は否定できない。
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