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2008-04-30 10:16
国際オリンピック委員会(IOC)は非難されて然るべき
内田忠男
名古屋外国語大学・大学院教授
「スポーツと政治は別物」との声があり、気持は判るが、それに与することは出来ない。自由と自治を求めるチベットの人々による抗議行動を、中国政府が力で弾圧した騒乱事件の直後に始まった、北京オリンピックの聖火リレーが、各地で混乱を招き、欧米のメディアの中には「中国は海賊版や安価な製品の他に、混乱まで輸出するのか」と揶揄するものもある。中国政府は、ロンドン、パリで多くの妨害に直面する聖火リレーを見て、その後のリレー地では(長野も含め)、現地在住の中国系や中国人を大量に動員する指令を発し、大小とりどりの五星紅旗の波と、分厚い警備陣の壁の中を、聖火走者が見え隠れしながらトーチを掲げて行くという、過去のオリンピックでは見ることのなかった、異様な光景が現出した。
独裁者ヒトラーがベルリン・オリンピックを開き、冷戦期に東側陣営が獲得メダルの数で西側を圧倒してステート・アマが問題化するなど、オリンピックが国威発揚の場になっている、との批判はかねてから強かった。1972年のミュンヘン大会では、イスラエル選手の多くがテロの犠牲になった。1980年のモスクワ大会は、その前年暮れにソ連軍がアフガニスタンに軍事侵攻した暴挙に抗議して、西側諸国の多くがボイコットを表明した。その次のロサンゼルス大会で、ソ連はお返しのボイコットをした。国際政治の荒波にもまれたオリンピックの例は数多い。1964年の東京大会にしても、北朝鮮が開幕直前に選手団を引き揚げる挙に出た。
フランスの教育者クーベルタン男爵が創始し、ブランデージ氏がその志を愛でて中興の祖とされた、近代オリンピックの理想と精神は、とっくに変容を余儀なくされている。オリンピックをいたずらに神聖化し、浮世離れした高みに祭り上げるのは、もういい加減にした方が良い。その意味で、今回の混乱まみれの聖火リレーを放置し、傍観した国際オリンピック委員会(IOC)は、非難されて然るべきであろう。聖火警備隊という名の中国特殊部隊と、現地警察の十重二十重の人垣の中で、一般市民からは隔絶された聖火リレーなど、中国のメンツを守る以外に、いかほどの意味があるか?
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