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2008-11-06 08:06
日本の「チェンジ」は霞ヶ関改革の有無次第
杉浦 正章
政治評論家
大統領選後ホワイトハウスの前でオバマ・コールが起きたように、日本の首相官邸の前で「小沢コール」が起きるとも思えない。民主党という党名が同じだから「変革」だ、という発想も幻覚に過ぎない。民主党も他人のふんどしで相撲を取るような宣伝はやめたほうがいい。すぐに馬脚を現す。しかし「チェンジ」の可能性を秘めて政局が動いていることは確かだ。幹事長の鳩山由紀夫が大統領選挙後「 日本もチェンジが必要になると、国民が思ってくれることを期待したい」強調すれば、国対委員長山岡賢次は、わざわざ取り寄せていたオバマの選挙ポスターを、国会内控室の小沢一郎代表のポスターと並べて掲げ「ともに民主党だ。使命は極めて大きい。一日も早い解散が必要だ」と舞い上がった。まさに「米国発の浮かれ」である。
そこで民主党に問いたいが、代表・小沢一郎にオバマのイメージが本当にダブるだろうか。政治姿勢から見ても、小沢は基本的に日本古来の政治手法の上に立って、寝業師的である。オバマは積極的に民衆の中に入り、活路を見出す。オバマは天才的な弁舌を有しており、小沢は自ら認める演説下手である。テレビで有権者が「オバマの言葉はインスピレーションが湧く」と述べていたが、小沢の言葉がそのように作用した例を知らない。自ら言い出して一時は慣習化した「党首討論」ですら、顔を出そうとしない。首相・麻生太郎から5日「米国のような選挙をしたいと思っても、党首討論に相手が出てこない」と国会答弁でぼやかれるようでは、どうしようもない。小沢にオバマのカリスマを求めるのは八百屋で、魚を求めるようなものだ。要するに民主党の悪い癖「何でも政局」が、また出たと言うことだ。子供っぽい「我田引水」はやめた方がいい。
しかし、地に落ちた「霞ヶ関シンドローム」に、国民が「変革」を求めていることは確かだ。先の参院選挙でも、消えた年金問題が民主党に地滑り的な勝利をもたらしたように、霞ヶ関のありさまは民主党に「敵失によるチェンジ」の可能性をもたらしている。自民党参院議員会長・尾辻秀久が「米国民は苦しい中で変革を求めた。同じことが日本国民にも言える。どの国の国民も、苦しいと変革を求める。次期衆院選は自民党に厳しくなるのは間違いない」と指摘しているのは、もっともである。麻生は「民主党という名前は、あちこちにある。米国に民主党政権ができたから、すぐ日本も民主党という短絡的な思考を、私は持っていない」と述べているが、霞ヶ関に「変革」を招来させないまま、総選挙に突入すれば、確実に「チェンジ」することを銘記すべきだ。
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