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2010-07-02 10:07

(連載)藤原正彦論文「日本国民に告ぐ」を批判する(2)

吉田 重信  元外務省員
 要するに、藤原教授の説く戦前日本の所業を弁護する論は、日本民族と諸民族との有効な対話を不可能にするのみならず、自ら孤立に向かう「独りよがりの弁」という根本的な危険性を内包している。これでは、戦前の日本の思想・言論状況と変わらないといわざるをえない。肝心の「救国論」の方策として、藤原教授は、日本の行き詰まった現状を嘆くとともに、国民を励ますために、「日本文化の普遍的価値」の発揚を説くが、その内容はまことに貧弱である。筆者は、日本の現状は悩む必要はないと考える。つまり、現在の日本が抱える諸問題の大部分は、一言でいえば、成熟した先進国の「贅沢な悩み」に由来する。低迷する経済のさらなる発展、社会福祉の充実とその費用との調整、少子高齢化問題の解決など、現代日本の抱える問題は、欧米諸国の例を見れば分かるとおり、いかなる政権が担当しても、直ちに妙案が出てこない類いの問題なのである。日本の学者の中には、「知足」哲学に基づき、日本は「華麗なる衰退」をとげればよいと説く人もいるが、それはそれで、国民の合意があれば、ひとつの解決策ではある。

 しかし、藤原教授は、日本の独特で優れた「普遍的価値」として、教授のお好きな「武士道精神」の復興や「和」などという精神文化の発揚を力説しているが、それには説得力が全くない。そもそも、いわゆる「武士道精神」とか「和」の精神などは、あいまいで怪しげな概念であり、論者によっていかようにも解釈できる抽象論、精神論である。日本の歴史において、「武士道精神」や「和」の精神に反する事象がいかに多かったかを考えれば、そのことは明瞭である。ちなみに、国内の複雑な矛盾に直面する現在の中国政権も、「和諧(ハーモニー)精神」というなにやら胡散臭いものを説いている。したがって、「武士道精神」や「和」は、日本文化のひとつの特徴ではありえても、決して「普遍的価値」などといって過大評価して世界に誇るほどのものではないと考える。むしろ筆者は、日本が主張すべき普遍的価値とは、平和主義、基本的人権、議会制民主主義、経済発展と社会福祉の両立など、時代が求めている人類の、共通した価値観であると考える。

 今日の日本の課題は、いかに世界の平和と繁栄に貢献しうるかであり、この分野では、戦後日本は、相当な実績をあげている。端的な例をあげるなら、これまで半世紀余りの間に日本人が「平和」の分野を含め、各種科学・技術分野で獲得したノーベル賞の数は、十を越えており、これは、ほかの国と比較しても、誇るべき成果であるといえるだろう。日本の現状について懸念される材料があるからといって、いたずらに過去に米占領軍によって「骨抜きにされた」というような被害者意識から出たと思われる、やみくもな「救国論」ではなく、もっと現実的で、希望のもてる日本のあり方や考え方を、知的指導者は若い世代に説くべきではないだろうか。確かに、日本は屈辱的な敗戦と外国による占領を体験した。しかし、それにもめげず、日本民族は滅びることなく、短期間のうちに復興を果たしたのみならず、欧米先進国の仲間と同じレベルにまで、各分野において世界最先端を行く発展を遂げたのである。

 まして、戦後日本は自由と民主主義制度を定着させ、東西の文明の精髄を摂取しつつ、太平洋の対岸では世界最富強の米国と、アジアにおいては近年目覚ましい経済発展を遂げつつある中国と有史以来のよしみを結ぶに至ったのである。日本の前途はむしろ洋洋であり、ほかの国ぐにに比べてもさほど悲観することはない。ましてや現状について怪しげな「救国論」を説くのは、いたずらに世論を混乱させるだけであり、有害であると考えられる。蛇足ながら、藤原教授本来の専門分野であり、まさに人類の普遍的価値が通用する数学界においては、たとえばインド人学者には世界的に認められた功績があるのに対して、日本人学者には輝かしい事績はまだ認められていないと聞く。藤原教授をはじめとする日本の数学者に奮起をお願いしたいものである。むしろ、数学者たる藤原教授には、専門分野においてこそ「救国」の役割を担っていただきたいのである。(おわり)
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