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2009-10-08 15:16
(連載)鳩山「友愛外交」の本質はなにか?(1)
藤井 厳喜
ケンブリッジ・フォーキャスト・グループ・オブ・ジャパン代表取締役
鳩山由紀夫首相の祖父、鳩山一郎首相が外交で大失敗をした歴史上の事実を紹介したいと思う。鳩山首相の愚かさのゆえに、日本は北方領土を取り戻す絶好のチャンスを失ったのである。大東亜戦争敗戦直後、首相の座を目前にしていた鳩山一郎は、占領軍に公職追放され、首相の座を吉田茂に譲った。吉田は外交官としての経験を生かして、巧みに占領軍と渡り合った。これはこれで、中々に立派な業績であった。
さて、パージ(公職追放)を解かれた鳩山は、吉田に「かつての約束通り」首相の座を明け渡す事を要求した。既に、長期政権の座にあった吉田は、「まだやる事が残っている」と権力の座の明け渡しを拒否した。鳩山は、吉田内閣倒閣運動に走り、これに成功、鳩山は首相の座に就いた。待望の首相となった鳩山は、吉田が出来なかったソ連との講和条約締結に意欲を燃やし、これに成功はした。しかし、北方領土の返還はならず、当時まだシベリアに抑留中だった日本人捕虜の帰還も遅れた。
ここまでは、誰でもが知っている話である。ここから先は、元外交官で後に外交評論家となった曽野明(その・あきら)氏の回顧談である。曽野氏は、吉田内閣下で、外務省のソ連課長を務めていた。ソ連は日本との国交正常化を実は、大変に焦っていた。
何故か?国交回復で日本に大使館を開き、大使館を拠点として情報収集と対日工作を行ないたかったからである。冷戦激化の1950年代、ソ連は日本にスパイ(工作員)の拠点たる大使館を早く開きたくてたまらなかったのである。ソ連は、日本との国交を正常化し、早く日本に大使館を開こうと焦っていた。共産国の大使館は、スパイ(工作員)の巣窟である事は外交上の常識である。(つづく)
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(連載)鳩山「友愛外交」の本質はなにか?(1)
藤井 厳喜 2009-10-08 15:16
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藤井 厳喜 2009-10-09 09:56
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(連載)鳩山「友愛外交」の本質はなにか?(3)
藤井 厳喜 2009-10-10 13:42
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藤井厳喜氏の鳩山「友愛外交」論を読んで
角田 勝彦 2009-10-12 14:34
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