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2013-03-09 14:12
(連載)チュニジア情勢の現在とその将来(2)
水口 章
敬愛大学国際学部教授
第3に、「政治指導者の目指す統治」についてであるが、イラン革命ではシーア派の法学者で大アヤトラの称号を有したホメイニ師が指導者としてリードしていった。同師は、反体制活動により1964年国外に追放され、トルコ、イラクのナジャフ、そしてパリで亡命生活を送った後、1979年2月、15年ぶりに帰国した。同師は、ナジャフ時代にイスラム法学者の「統治論」をイスラム法学校で講義するなど、イラン市民にとって「法の根源」(マルジャエ・タクリード)的存在であった。チュニジアにおいては、ラシード・ガンヌーシ氏が、ロンドンでの22年間の亡命生活を経て2011年1月30日に帰国した。その後、同氏はアンナハダの党首として影響力を増している。ガンヌーシ党首は、1981~84年、87~88年と2度の投獄生活を送るなどベン・アリ時代に反体制活動の中心的存在であった。しかし、今回の革命については、一般市民の仕事を要求する運動の波が労働組合組織の力などと合わさって、ベン・アリ政権打倒へと向かっていったとの見方があり、最後の部分でアンナハダが「革命を乗っ取った」との声も聞かれる。
ホメイニ師とガンヌーシ党首の目指す統治のあり方も違っている。ガンヌーシ党首はイラン型のイスラム法学者の統治ではなく、現在のトルコに近い「イスラム(寄りの)政党」による政治運営を目指していると考えられる。しかし、「イスラム(寄りの)政党」の中身については、アンナハダ内部に穏健派とイスラム過激派(サラフィスト)の対立を抱えるようになっている。2月19日、同党の穏健派のジェバリ首相がテクノクラート中心の組閣を試みるも失敗に終わり、辞任したのは、ガンヌーシ党首の反対があったためであり、象徴的な出来事だと言える。
最後に、「革命が及ぼす影響」についてであるが、イラン革命は、イスラム復興運動を表舞台へと踊り出させた。一方、チュニジアでの革命もアラブ諸国に民主化、自由化の波を起こし、エジプト、リビア、イエメンでの政権交代、シリアでの内戦、バーレーン、ヨルダンなどでの反体制運動の活発化など、歴史的な市民運動を生んでいる。しかし、イラン革命後にイスラムが復興し、中東地域で政治不安が生まれた時とは大きな違いがある。
現在、中東諸国では、国内的には教育水準、経済水準が底上げされ、若者の雇用問題や富の格差問題などの解決が求められている。また、対外的には、インターネットやグローバルメディアの発達、国際制度化の浸透と相互依存度の高まりが見られる。したがって、チュニジアの革命は、やはり、中東諸国が市民社会の形成への道のりを歩みはじめるという構造的な変化の起点となったと言えるのではないだろうか。(おわり)
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