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2014-07-29 11:49
(連載2)集団的自衛権に求められる冷静な議論
河東 哲夫
元外交官
しかしそれ以来、日本は着実に国力を着け、自衛隊も力をつけた。1970年には岸総理は第1次日米安保の不平等性を改めるべく、安保改定を行う。新しい第5条「各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従って共通の危険に対処するように行動することを宣言する」は、米国の日本防衛義務を第1次よりは明白なものとした。しかし野党勢力は、日米安保が初めて結ばれ、日本は対米従属を恒久化させるかのごときキャンペーンを張り、岸政権を退陣に追い込んだ。他方、米国では、「米国は日本を守る義務があるのに、日本は米国の防衛に何もしない」(基地を提供しているのだが)と言って不満を示す勢力が常に存在する状況になった。日本人は米国を忌避し、米国は日本に不満を示すという構図は、この頃から続いているのである。
7月1日の閣議決定は、「内閣法制局の解釈を変える」と正面から明言して法制局の面子をつぶすようなことをしていない。そのようなことを避けながらなお、集団的自衛権を実質的に「解禁」しようとするものである。これは、在任僅か1年で病に倒れた小松法制局長の置き土産と言っていいだろう。前述のように、保安隊の朝鮮戦争参戦を断るための方便として憲法第9条を援用したのであれば、新しい国際政治状況の下では憲法第9条の解釈は変えてしかるべきだろう。1951年の第1次日米安保は、前述の如くその前文で「国連憲章は、すべての国が個別的及び集団的自衛の固有の権利を有することを承認している」旨謳っているのだから。
7月1日の閣議決定の肝は、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使すること」は憲法上許容される、という箇所にある。実質的に集団的自衛権を解禁したのである。
しかし本当にそうなるかどうかは、来年通常国会に上程されるであろう関連法案が採択されるかどうかに拠っている。今の所は、日本の防衛体制には何の変化も起きていないのである。何回も言うように、集団的自衛権とはあらゆる国連加盟国が持つ権利であり、これの解禁が日本国憲法に反するかどうか最終的に審査する権限は最高裁が持っている。内閣法制局は別に食言したわけではない(黙っているだけである)。それでも、この閣議決定が世論の反発・疑念を呼んでいるのは、「集団的自衛権解禁=世界中での米軍との共同行動=徴兵制導入」という連想が起きているからに他ならない。(つづく)
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投稿履歴
(連載1)集団的自衛権に求められる冷静な議論
河東 哲夫 2014-07-28 02:53
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河東 哲夫 2014-07-29 11:49
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(連載3)集団的自衛権に求められる冷静な議論
河東 哲夫 2014-07-30 15:35
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(連載4)集団的自衛権に求められる冷静な議論
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