吉野作造は、同時代の米国大統領ウッドロー・ウィルソンを、「曠生の英雄」と称した。そのウィルソンは、政治学者だった時期の著作で、「政治的自由とは、統治される者たちが、彼ら自身の必要性や利益に政府を適合させる権利」が尊重され、『安全や幸福』を確保するために立憲政治(constitutional government)が形成されるのだ、と説明した(Woodrow Wilson, Constitutional Government in the United States [1908])。吉野作造の「民本主義」の「憲政」は、アメリカの立憲主義とも重なるものであった。ウィルソンは、国際連盟の創設を通じて、民族自決だけではなく、集団安全保障の仕組みを、ヨーロッパにも持ち込んだ人物であった。そして20世紀後半以降では集団的自衛権と呼ばれる「地域に関する了解にして平和の確保を目的とするもの」(連盟規約21条)も、国際法秩序の中に取り込んだ。吉野は1918年に初めて設置された東京帝国大学のアメリカ研究講座を担当し、アメリカの外交政策を講義した。